古武術を、単なる「骨董品」ではなく、技が使えるかどうか、「生きた存在」として稽古するためには。

技が多いか格好いいかではない。

いかに歴史が古いか、いかに権威があり門弟が多いかでもない。

小さくともかまわない。その土台となる古い身体観、身体のありようを取り戻すことが重要となろう。

昨日、「国際武学研究会」(http://bugakutokyo.blogspot.jp/)代表の光岡英稔師範にお会いして、

本来、人間の身体構造はもともと左右非対称であり、それが古い武技にも反映されているだろうこと、

林崎新夢想流居合のフキョの座法は、馬上で養われた身体観がベースになっており、当時の武士たちにとっては、動きやすい常の身法だったのではないか、というご指摘をいただいた。

目からウロコが落ちる思いがした。

例えば本県は、発掘調査の成果によると、平安期から牛ではなく、馬を使ってきた文化圏である。

特に南部地方は古代以来、有名な馬産地であるとともに、南部・津軽ともに馬に関わる、駒踊や荒馬などの民俗芸能や、オシラ神信仰が盛んだった。

また津軽では、昭和50年代まで農耕馬を使っていた家があり、現在でも、ばん馬大会が盛んである。

民俗音楽研究者のなかには、ねぶた祭りの囃子のリズムと跳ねる動作に、大陸の北方騎馬民族との共通要素を見る人もいる。

長く生活のなかに馬があった当地の人々にとって、フキョの身体は、なじみ深いものだったのかもしれない。

と思うと、林崎の居合が上達するために、わたしも乗馬を始めてみようかな…と。

ところが、生活様式も身体観念も西欧化し、大きく変容した我々現代人にとって、前近代の古い武術、歌舞音曲の形が示す所作は、あたかも異文化のように難解かつ動きにくいものだ。

では、古い武の生命力を取り戻すことは無理なのか。

いや、残された古い形から、その身体観、身体のありようを求めていくしかない。

そのときに邪魔になるのが「見かけ」だという話にもなった。

かし、マスコミが発達した現代では、何事も「見栄え」が重要な時代となっている。

しかし古い武技は、日々の生活のなかの身体そのものと直結していたろうから、

実際には、目立つような動きではなく、むしろ無駄がはぶかれて、非常にうまく協調して整ってしまっており、準備や起こりがよくわからない、なにげないような動きだったのではないか。

そうでなくては、すぐにやられてしまったろう。

例えば、私の高祖父は、幕末から大正期に生きた旧弘前藩士で、戊辰の役では褒美ももらっているが、その剣術稽古は、静かでゆったりとしていて、当時青年だった祖父にとっては面白くなく、竹刀剣道競技の方が楽しかったという。

実際に日常所作の方が確かであるようで、某格闘技師範が説く護身術でも、特別に習得した高度なパンチ技術よりも、普段のくらしのなかのしぐさや反応を活かした技の方が、反応が速いし安定性があって確実だと、経験を踏まえて述べておられる。

だが、現代では、本来は「実用のため」であった武術・武道の形が、

いかに第三者から見てカッコいいか、という遣い方へと、急速な変容が始まっている気がしてならない。

よって私自身も、人前で演武させていただくことが、この技芸世界の存在を、広く知っていただく重要な機会だと認識していながら、

見せることで、何かの反応を期待し、やがて技の変質を招くことになっていないか、それが果たして本当にいいことかどうか悩む。己の未熟さに冷や汗をかいてしまう。

当会のS先生の師匠は、実際に使う居合は柔らかく気配を消した遣い方だが、外部で一般向けに演武するときは、素人にもわかりやすいように、メリハリをつけた動きに変えていたという。