戦国末期の開祖が残したという有名な極意の剣技。

巷間の伝えによれば、遥か昔に失われたとされてきた。

ある人は、それは具体的な技法ではなく、精神論ではないかともいう。

私もいろいろ資料調査をしたがわからず、一生知りえることはないとあきらめていた。

しかし奇遇にも、その一端を知る機会に、再び恵まれた。

大きな僥倖に深く感謝している。

以前もそうだった。拝見した瞬間、家伝剣術の幾つかの技法とそっくりで目を見張った。

帰宅してもう一度考えてみると、それが暗示している理合は、具体的なひとつの技法だけではなく、

家伝剣術のあちこちに埋め込まれていることに気づかされた。

「開祖以来の教えを伝えている」という伝書の言葉を読むたびに、

「人間の文化だから、長い伝承のなかで必ず歴史的変容があるはずだ」と疑ったこともあった。

しかしそれは表面上、外形だけのことであり、技法のなかを流れている太く大きな無形の理は、

伝書が説くように、確かに変わらずに示されていることを知った。

大事な理合とは、時代劇や映画のように、仰々しく啓示されるものばかりではなく、

実は見慣れた風景のなかにこそ、ひそやかに溶かし込まれているのかもしれない。

先人たちが設計した無形の伝承システムの精緻さに脱帽だ。

見慣れたはずの素朴な家伝剣術は、

拙い私の目が開かれるたびに、新しい地平を、さらなる課題を示してくれる。

あちこちよそ見するより足元を掘れと、また言われた気がした。