■
戦国末期の開祖が残したという有名な極意の剣技。
巷間の伝えによれば、遥か昔に失われたとされてきた。
ある人は、それは具体的な技法ではなく、精神論ではないかともいう。
私もいろいろ資料調査をしたがわからず、一生知りえることはないとあきらめていた。
しかし奇遇にも、その一端を知る機会に、再び恵まれた。
大きな僥倖に深く感謝している。
以前もそうだった。拝見した瞬間、家伝剣術の幾つかの技法とそっくりで目を見張った。
帰宅してもう一度考えてみると、それが暗示している理合は、具体的なひとつの技法だけではなく、
家伝剣術のあちこちに埋め込まれていることに気づかされた。
「開祖以来の教えを伝えている」という伝書の言葉を読むたびに、
「人間の文化だから、長い伝承のなかで必ず歴史的変容があるはずだ」と疑ったこともあった。
しかしそれは表面上、外形だけのことであり、技法のなかを流れている太く大きな無形の理は、
伝書が説くように、確かに変わらずに示されていることを知った。
大事な理合とは、時代劇や映画のように、仰々しく啓示されるものばかりではなく、
実は見慣れた風景のなかにこそ、ひそやかに溶かし込まれているのかもしれない。
先人たちが設計した無形の伝承システムの精緻さに脱帽だ。
見慣れたはずの素朴な家伝剣術は、
拙い私の目が開かれるたびに、新しい地平を、さらなる課題を示してくれる。
あちこちよそ見するより足元を掘れと、また言われた気がした。