暮らしのなかのなにげない行動を取り上げ「法的にNGか」という言い方が流行している。

確かに社会の一員として、法律を遵守することは必要である。

だが逐一、日常のふるまいひとつひとつが、法に合っているかどうかチェックしないと生きていけない、という姿勢では、少々情けない気がしてならない。

それではまるで、己の考えがないこと、自分のなかに規矩がないこと、常に外部から規定してもらわねば生きていけない子供だと、表明しているようなものではないかいな。

この世界には、人間の計らいを越えたものがたくさんある。

法律が策定される前から存在し、動いている仕組みが無数にある。

だから、森羅万象すべてを近代成立の法が網羅し、対応できているかといえば、それは人間の奢りであろう。

この世界すべてを「法律でカバーできる。コントロールできる」という観念の底には、都市のような人工世界の中で生まれて一生を過ごすことが当たり前となった意識があるのではないか。

すなわち、ビニールハウスか箱庭のなかで、他者に育てられている生物標本のように、管理されやすい存在になっている。

それは安心なのだろうが、残念ながら、たとえ社会がいくら変化しようと、最後は己自身で直接向き合い、判断し、動かなくてはならないのだ。

生まれてくることも、日々を暮らしていくことも、死んでいくことも。

そのことを身体で体験的に学べるのが武である。

武は本来、ルールのある競技ではなく、ふだん私たちを包んで守ってくれているカバーが破れたときにどうすればいいのか、という現場から生まれてきた野生の存在である。

何をなすべきか、己の心身をもって探求していくうちに、

わたしたちが人が造った法だけではなく、もっと大きな天然の規矩にも包まれ、守護されて生きている事実と安心にも気づくだろう。