素朴かつささやかで、全く手応えがない家伝剣術一本目の稽古。

現代では全く評価されない動きだが、やるたびに多くの気づきをもらう。

日々、過去の、歴史の「前例」に拘泥し、これからの「計画」に迷っている私は、

実は目の前の現実を見誤っているのではないか。

世界も、私も、日々、刻一刻と揺れ動き変化している。

だから心身も、その規矩も、決して固定的な存在ではなく、

揺れ動く全体の総和、中立点として、毎度、新しく生成しているのではないか。

それと一体化するためには「我」をいったん手放さなくてはならない。

父が竹刀剣道の地稽古で説く「己の構えは(己が決めるのではなく)相手が決めてくれるのだ」ということにも通じる。

近世前期の先師は「ここで一流を立てよ」と書き残しているが、

それは決して見栄ではなく、歴史を尊んでも依存するな、いまを生きよ、と聞こえてくる。

おそらくこの剣も、偉大な先人たちでさえ体験したことがない、新しい世の中を生きている。

そのなかから全く新しい機能が生まれつつあるのか。