昨日書いた、日本刀の特徴的構造と、それを操る者との心身の連関について、さらに拙い推測を付け足す。

日本刀は点(切っ先)と面(刃部)で構成されている。

切っ先は攻めに、刃部は攻めだけではなく防御にも機能するから、日本刀は自ずと攻防一致の器となっている。

では、なぜ、刃部が切っ先から鍔元まであるのか。

巷間では「物打ち」部分だけが有効打突部だというならば、最初からそこだけ刃が付いていれば済むはずだ。

しかし、そこで当てようと計算することができようか。

なぜならば、攻防中、相手も我も無限に変化し続けている。いつ、どの点で衝突するのか、正確に予測できるものか。

よって、点と点で対応するのではなく、どの瞬間、どの部分で接触しても効力のある状態でいること。

だから日本刀の刃は、切っ先から鍔元まで途切れずに流れている。

そしてその構造は、術者の心身にも、そのような機能を要求しているのではないか。

開祖や先師たち曰く「正と合わせて奇で勝つ」

すなわち、人は己の誠を尽くのみ、最後の変化の妙による勝利は、天のみぞ知るという。