よく林崎系統の居合伝書は「右膝を規矩とする」という。

もしかするとそれは、抜刀時だけではなく、納刀においても同様なのではないか。

いや、居合だけではない、剣術にもいえるのではないか。

我が家では、近世から近代にかけて二百数十年間、家伝剣術と林崎新夢想流居合を併伝した。

だから、我が家の伝承では、両者が互いに影響しあい、ひとつとなっていた。

そのことが、同流居合復興の大きなヒントとなっているのだが、それを理屈ではなく、身をもって共感できるきっかけとなろうか。

なぜ膝が規矩となるのか、私はいままで安易に考えていた気がする。

それは普段の生活のなか、人の身体の仕組みとして既に備わっていただろう構造であり、

規矩だといってそれにとらわれてはいけない規矩か。

その規矩が、全体の仕組みに何を導いてくれるのか。

正面の一対一だけではなく、前後左右、多敵への展開を拓いてくれるような感じもある。

これは面白い。普段の暮らしそのものが稽古になりそうだ。

家伝もいうが、特別な技法を覚えても、忙しき乱戦の場でもそれが発揮できるかどうかはわからず、

ややもすれば、素人に敗れてしまうことがあるという。

ならば、日常やっている何気ないしぐさほど、強固な動きであり、

それに根差すほど、好調不調に関わらない確かな技になる。

これらのことが改めて見えてきたのは、弘前藩士小田孫兵衛師の伝承を翻刻している最中だ。

読むよりも書くことで読めてくる内容がある。

幕末の小田師は弘前藩士でありながら、京で隠密の役務に就いていた人物だったという。

その記述内容を拝見すると、当家剣術については、印可手前、免許までとっていた人物だ。

これを私に授けてくれたのは、亡き祖父の剣道および剣術の高弟で、神奈川県の剣道界でも活躍され、上段が得意で恐れられた故木村哲男師範であった。

そのご高恩に深く感謝申し上げます。

竹刀剣道の送り足で、力んで蹴る癖がつき、それ以外の多彩な足さばきができなくなったことを更新するため、

近年は、足さばきそのものを意識することを全く捨ててしまっていた。

しかし、それだけでは足りぬ。剣における身の立て方を、いまいちど新たに構築しよう。

例えば構えのこと。

父が毎朝の竹刀剣道地稽古で発見した理合は、剣道地稽古で無数に繰り返される剣先での中心争いを、軽やかに越えていく有効性だけではなく、剣術や素手の体術、ことに中国拳法でも説く術理とも共通している。

そのなかには、右膝の規矩とつながる理もある。

そして変化している途中、己の心身の粗密度を計る規準器として、刀が最適ではないかということ。

定められた種目のなかでの「正しい基本」ではなく、多様な現実世界で有効かどうかを。

そして、いまこの場で誰それに勝ったか負けたか、という果てなき相対的稽古に身を委ねきる儚さよりも、

昨日の我より今日の我が、いかに更新されたかという、絶対的な稽古を。