実家で毎年恒例の餅搗き。

(だたぢ12月29日だけは「九日餅」と言って「苦」につながるから餅搗きを避け、違う日にするのは日本各地の習俗と同じだ。)
まずは、台所にある古いレンガ造りのカマドに、水を入れた鍔釜と、水に浸した餅米を入れた蒸籠をすえる。
次に、秋に庭で、斧で割った薪をどんどんくべ、ガンガン火を焚いて約一時間待つ。
餅米が炊けてきたら、すぐさま玄関のたたきにすえた臼へ投入する。
すぐさま、片杵で細かく搗き、餅米の粒をつぶしていく。
ここまでをしっかりと、かつ手早くやるかどうかで餅の搗き上がりが全く違うのだ。
粒が消えてきたら、こんどは「あいどり」役をつけて、同じ方向を向き、呼吸を合わせながら、杵で大きく搗き始める。
やはり杵は、軽いものよりは、ある程度重い杵がいい。
このとき、重い杵を腕力で振りまわしていては、何臼も搗けない。すぐに力が尽きてしまう。
しっかりと何臼も搗くためには、竹刀剣道の軽く速いスナップ打ちよりは、「カブトをも打ち割るほどの」古流、家伝剣術の斬りが生きてくる。
すなわち、ナマの筋肉よりも、重力と杵と我が身体の重さを活かすことだ。
杵を振り上げるときは、杵の下へ身体ごと潜り込むようにすると、杵の重さが消える。

そのしぐさは家伝剣術「陰の構え」の応用だが、旧弘前藩刀匠家二唐家での刀鍛冶の槌の振り上げ方にも通じるのではないか。

振り下ろすときは、刀のように杵の「刃筋」を立てつつ、杵を我が身から遠くへと放り投げるのではなく、その構えのまま、我が上半身と腰も遅れずに杵と一体化して落ちていく。
途中それにさらに加速をつける。
そして、杵の中心から地球の中心を射抜くように打つ。
そのとき両膝と両脚裏はふわりと浮く。
(そうしないと威力が相殺されるだけではなく、威力で我が身が壊れていくだろう)
そしてその足構えは、やはり撞木足の方がいい感じだ。
さらに杵の落下に我が重さを載せようかと工夫すると、後ろに引いた左腰と左脚部の居着きが解消されるほど、杵に重さが載ることを発見した。
あたかも林崎新夢想流居合での三尺三寸刀の抜刀と似ている。
このようにやると、腕力で杵を振っているときよりも、遥かに遥かに大きなインパクトを餅に与えることができる。
本当にいい音が出るものだ。ときに、その下の臼が割れるのではないかと思うほど。
この杵ならば、たとえ甲冑武者でも一撃でつぶせるかもしれないと夢想する。
すると短時間でコシのある餅が搗けていくから面白い。
これはいい稽古になる。
私は毎年数臼しか搗かないが、毎日やっていたらもっと上達するだろう。
搗いた餅は、片栗粉を撒いた敷板のうえでまるめて鏡餅や各部屋のお供え、食用にするためカタチを整えていく。
お恥ずかしいことに実は私は、家庭用の餅搗き機械を見たことがない。
これだけのインパクトが発生する重労働を、いったいどのようにしてあんな小さな箱にまとめてしまっているのか、皆目見当もつかない。
しかしこれだけは言える。
実際に杵と臼で搗いた餅は、機械で搗いたスカスカの餅とは全く違い、きめ細やかな表面とともに、ねばりとコシがあって濃密で大変旨いものだ。

このように、近代競技とは異なる現実世界のなかの生活文化だった古流の技法は、日常のしぐさや労働そのものと一致しているのではないか。

だからその動きの根は太くて安定している。

だからとっさのときにでも、特別に用意せずとも、すぐに我が身から出たのではないか。