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古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

武術、武道には、いろんな伝承の在り様がある。

全国各地の道場やスポーツセンターでも習えるものもあれば、
家伝剣術や林崎新夢想流居合のように、各家や地域で黙々と伝承されてきて、公的にはリストアップされていないマイナーな武の伝承がある。
(さらに全国各地には、人知れず伝承されてきた御流儀がまだまだたくさんあるはずだ。)
現代では前者が圧倒的に多く、後者のような学びは少なくなっているが、

どちらも武である。正否はない。他人の道を云々いう前に、己自身の稽古を深めたい。

修武堂は後者の武が主体だ。
これは主宰者である私自身に由来する。
すなわち、前近代以来の農家、漁家、商家、寺社、どの家業もそうだろうが、
よそへ習いに行く前に、すでに家のなかに技芸があり、己の意志とは関係なく、いつの間にかやらされている伝承だ。
(そんな者にとっては、自ら選んで習いに行くことがうらやましいことがある。)

「食」にも全国式と地域性がある。
規格化され、パッケージがつけられて全国スーパーに並ぶ食料品があれば、
いつからかわからないが、淡々と各家で作ってきた郷土食もある。
前者は誰もが入手できる。国民的なライフラインに関わる場合もある。
だが、個別の事情を考慮する余裕はないし、工場からの供給が止まれば無くなる。
後者は万人向けではない。好き嫌いが分かれるものだ。
しかし、その土地の生活そのものに根を張っているから、身近かですぐ手に入る「たくましさ」がある。

「昔話」もそうだ。
観光用の「昔話語り部」はプロだから、万人を満足させなくてはならない。
よってその語りには、きちんとした起承転結、整合性があり、身振り手振りもついてドラマティックに洗練されていく。
しかし、現実の村落生活で伝承されてきた昔話は、全く違って素朴である。
代々、炉辺でとつとつと語られる過程で話型は変容し、一部が忘却されてしまったりして、起承転結も整合性もなく、断簡だけになっていることもある。万人向けではない。
それでも、自分たちの暮らしの成り立ちを語り、そこに生きる理由を説き、慰撫と励ましを与えるものだった。
民俗学は、後者を調査対象とするが、現代ではその話者は壊滅状態である。

全国式にも、地域の伝承にも、それぞれの役割がある。
しかし近代以降、各分野の技芸が規格化され、全国的に平準化されていくなかで、家ごとの技芸や土地に根差した技芸を「遅れたもの」と蔑視する風儀が生まれていった。

くわえて、現代社会の要請に合わせて、文化や文物が加工されていくことが急増している。
自家製よりも、システムで加工された文物ばかりが人々の常識となってしまえば、

いつの間にか、それ以外のものは「欠落したもの」「間違っているもの」に見えてしまい、駆逐されていくこともある。

そのうち、後代に規格化されたものだけが生き残って「昔からの伝統」を名乗り始め、国家的な「正統性」へ結びつき、活用されていくこともある。

そのことで技芸が、始まりの基盤であったはずの、生身の人間の心身とくらしから、遠い存在になってしまえば大変だ。自ら行き詰ってしまうだろうに。

そのときは、そのたびに、我らが地域の小さな武から、大地に根差した生命力を得ていけばいいのではないか。

(追記)
 1月に東京で開催する「林崎新夢想流居合研究稽古会」だが、各ご専門のご流儀等の立場上、なかなかご参加が難しい方々もいらっしゃるかと拝察している。

 しかし本会は、「宗家による講習会」や入門・入会を迫るものではなく、未だ途上にある我々の研究の現状をご紹介するとともに、互いに意見交換しながら進めていくワークショップである。

 最初にひな形となる技法を提示した後、みなさんとの化学反応で、どんな展開になるかは我々主催者もわからない。我々も皆さんとのご縁から新しい気付きをいただきたい。

 各位ともに、知的好奇心にしたがって、お気軽においでいただければと思う。

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