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古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

先週、都内を移動中「今日は本当に寒い」と嘆くサラリーマンと何度かすれ違った。
しかし「北方の蛮族」である我々にとっての東京は、本当に暖かかった。
桜が咲く季節を思った。「ここで生きたら長生きできるだろうな」と。
帰ってきた津軽も暖冬で、例年にくらべるとほとんど雪が降っていない。
それでも、ここで生きるためには、いやでも毎日、雪のうえを歩かなくてはならない。
老若男女全員が、歩くたび毎日、様々な歩法と心身の有り様を試される。
人間がアタマで設計した「正しい歩き方」「美しい歩き方」、スポーツジムで鍛えた脚はあまり有効性がなくなる。
新雪のぬかるみを歩く日もあれば、
ゴツゴツした固い氷雪の起伏を歩くこともある。
足元が定まらない土砂のような氷雪のなかを歩くときもあれば、
歩けていることが自分でも信じられないような氷上を蹴らずに歩く日もある。
溶けてたまった水たまりを歩かざるをえないこともある。
これら複数の路面状態の「合わせ技」が、不規則に襲ってくる。
特に氷雪の場合、転倒すれば骨折し、頭を打つこともあるから、必死にならざるをえない。
この雪のなかでは、誰に強制されるわけでもなく、みんな自ずと体験的に、自ずと両膝を柔らかく曲げ、少し腰を落とし、背中を丸めて小股でソッと歩くようになる。
近代の軍隊式行進や「正常歩」普及以前の、農作業や道具を担ぐような「変化に富む、したたかな」姿勢と歩み方になっていく。
そうでなくては生きていけないからだ。
人工の競技ルールではなく、現実世界が身体の有り様を規定してくるのが生活技術である。
おそらく私の父祖達もそうやって日々を歩き、剣を振ってきたに違いない。
実際、家伝剣術「生々剣」はその歩法と心身である。
しかし「歩み」だけに集中していられない。
降雪や吹雪で、視界と聴覚、肌の触感などの感覚の一部がさえぎられる。
かつ見なれた町中に、不規則な巨大な雪だまりや雪山が出現し、さらに視界がなくなる。
道路も交通標識も看板も、みんな埋もれて輪郭がなくなってしまうから、それらを頼りにしていた世界認識を全転換しなくてはならなくなる。
まるで塹壕戦だ。
信号が埋もれた雪山から、おそるおそる顔を出したら、いきなり自動車にひかれそうになる。その自動車のブレーキも滑ってアテにならないからやっかいだ。「何も信じるな」
だんだん、野山のなかを移動するような感覚に近づいていく。
冬になると、交通ルールや各種インフラはアテにならない、己の感覚で生きのびるしかない、ということを、みんな骨身に沁みてわかっている。
私はこの生活様式が、津軽の人々の思考とふるまいを形成しているのではないかと思う。
例えば、今回の「扇子斬り大会」でも感じたことだが、首都圏では、何事もきちんと理詰めで精査することが常識である。その精緻な論理性に圧倒されてしまうことが多い。
対照的に我々津軽人は、物事をおおらか(ずさん?)に、場当たり的に進めてしまうことが多い気がする。
どちらも、状況を生きのびるためには必要な戦略だが、現代資本主義経済に向いていないのは、やはり後者の我々津軽人だろう。(でもそれも楽しいものだ。)
さて、話を元に戻そう。
いくら津軽の冬の町が「想定外の自然」に包まれてしまおうとも、本当の野山とは徹底的に異なっている点がある。
それは、いくら雪下になろうとも町中のそこかしこには、暖を、食を得る手段が埋もれているから「なんとかなるだろう」という安心感があることか。
だからこれが郊外の野山、地吹雪が吹く、視界ゼロの津軽平野の真ん中だったらどうか。
零下のなか、誰もがひしひしと「死」を感じてくるのである。
春夏秋には、あれほど我々に豊かな資源をもたらして色とりどりだった自然世界が、
雪に覆われたとたん、モノトーンの冷酷な死の世界へ変身する。
我々人間が入り込むスキが全くない。数時間いれば必ずや、我が心身が危うくなることをリアルに感じさせてくれる。
この感覚は、深山まで行かずとも、そこかしこの集落近くの里山に入ってでも体験可能だ。
このように日々の暮らしのなか、人間を超えた世界が、死が、常時我が身のすぐそばにあるという事実について骨身に沁みて気づくことは、我が内面を、生を、より深く豊かに強靱にしていくだろう。
先人達が説くように、雪による圧倒的な封鎖と死の世界が溶け去るからこそ、我々津軽は、解放された春の命の喜びを、夏のネプタの熱と爆発力を、我が身いっぱいに感じられる。
それは理屈を超えている。
寒くて不便だが、人のチカラではどうにもならない、天地の間での体感を通した学びを、一生できるのが津軽のいいところだ。

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