「剣術は形ばかりで、剣道のように打ち合わないでしょう」と言われることがある。
そのイメージはやはり、剣術が廃れ、その実態がわからなくなった近代以降の勘違いではないか。
刃引きや木刀でわかることもあれば、シナイだからこそわかる稽古もある。
よって当会ではときおり有志で、特性の袋竹刀「源悟刀」を使って、木刀による形稽古と竹刀による地稽古の中間のような稽古を試みて、剣術を探求している。
この「源悟刀」は当会外崎源人が開発され、一振りずつ手作りのもの。
袋竹刀なのになんと反りがあり、柄が刀のように楕円形なのだ。
家伝剣術は「竹刀は丸いから刃筋がわからなくなりやすい」と書いているが、この源悟刀はそうではない。
しかも、素面素小手の防具なしで思い切り打ちあったり、突きをしたり、組み合って体重をかけるような自由稽古もでき、伝統の袋竹刀よりも耐久性があり、折れたことがない。
だが、最初から無制限の自由乱打をやると、どうしてもチャンバラごっこのようになってしまい、全く刀法ではなくなるものだ。
よって、最初はある程度制限をかけた家伝組太刀の形を行い、少しずつ制限をはずして、それぞれの工夫を許して、自由な地稽古へ移行していけばどうなるか、試行中である。
防具なしで打ち合ったとき、最も怪我しやすいのが手指や拳だ。
小手をつけないと、たとえ木刀でなく竹刀を使おうとも大変なことになる。治らないケガにもなる。この事実については案外、長年、竹刀剣道をやられてきた方でも気づかないことがあるようだ。
そのためか、剣道防具発生史のなかで、一番最初に生まれたのが小手だという。
近世後期の弘前藩でも、当初のシナイ稽古では、拳をケガしたので「手袋」を付けたという。
明治期、北辰堂で先祖たちが体験したねぷた喧嘩では、真剣による斬り合いも発生したが、翌日はドブに斬られた人の指が落ちていたという話があるくらいだ。
よって剣技では、己の手指や拳がつぶされないような技であること、逆に相手の手指や拳を機能不全へと追い込んでいくことが大前提となる。
かつて剣道でも五本指の小手が開発され、故賀川康之氏からいただいたことがあったが、衝撃に弱くてケガが多いため、廃版となったと聞いたことがある。
よって現在では、安全性を考えて、高価な小手ほど拳の部分が強固になっている。
ところが強固な小手をつけて、いくら衝突しても無痛であることに慢心してしまえば、実際の剣技から乖離していく。
すなわち、小手なしでは不可能な技も「いくら打たれても、ぶつかっても大丈夫だ。可能である」と勘違いし、技がだんだん過激となり、実際からは遠ざかっていくことがあろう。
よって我々は、手指を防御しながらも、打たれた感覚がわかるような薄い防具、すなわち、溶接用皮手袋やスキーグローブ、指が分かれた薙刀の小手などを使っている。
今後どう展開していくか誰も知らない。楽しみである。