「刀剣ツアーin青森」。
皆さまにお助けいただきながら、盛会のうちに終わった。
県内外から約30名の申込みがあり、そのなかから20名の女性にご参加いただいた。
深く感謝申し上げます。
初日は刀匠の工房で、美術工芸品としての刀剣に触れたそうだ。
二日目は当方で、歴史的武具としての刀の実用性を体感。
家伝の卜傳流剣術稽古を楽しみ、真剣で試し斬りをし、袴姿で帯刀し、武士の所作で弘前城内の名所を散策。城門の影から出てきた襲撃者へ応じてもらう…。
我々は拙い講師だったが、皆様には案外楽しんでいただいたようでホッとしている。
実は我々自身が勉強となっていた。
いつもだが野外で、今回は雪の中で稽古するだけで、いろんなことに気づかされる。
歩き、風景が、地勢が変わるたびに、心身が変わっていくのだ。
雪上での歩き方は…、見通しの効かない場所では…
と、環境に応じて心身の臨機応変さが求められてくる。
思えば、現代武道の多くは室内専門となった。
そのためか「今日の稽古は畳か床か」「その床はきちんと清掃しているか」と気にする武道師範も多い。
しかし本来の武は、競技スポーツや儀式ではないから場所を選ばない、いや選べないはずだ。
実は当会メンバーは「刀剣稽古で剣道場床を傷つけた」嫌疑で追われ、室内や野外など様々な環境の場所を彷徨いながら稽古してきた。
そのお陰で幸か不幸か、いつの間にか、場所も天候も選ばない野生のたくましさが身についてしまった。
まるで、豊かな森から追われて、二足歩行をせざるをえなくなった初期の人類か。
加えて、旧跡の前にいくと「近世の師範はここで飛燕を斬ったという…」などというエピソードまで浮かぶ。
すなわち、家伝技法が、心身が、自然環境、お城と街並みとリンクしていることに、改めて気づかされた。
これは単なる「前近代の遺風」「田舎くささ」なのか。
いや、見方を変えれば、近現代武道が、全国普及のために土地や歴史を切り離し、環境や技法を純粋化し、全国平準化していくなかで失った「豊かさ」なのではないか。
目の前の風景と、己の技がつながっていることは、本当にうれしく楽しいものだ。
もともと競技ではなく、目の前の現実を生き抜く術だったのだから、当たり前といえば当たり前なのだろうが。
だからこそ、拙い私でも、本日の講師役がなんとか務められたのかもしれない。
このように私は、異なる様々な分野の方々とご縁をいただくたびに、新しい視座をいただく。そのたびに、わたしの狭い窓が広くなって、風通しがよくなる。
今後、この小さな伝承がどうなるのか全くわからないが、己が為すべき務めだけは、粛々と果たしていきたい。