古流武術において「外之物」「外物」(とのもの)とは、他流から導入した技や、日常の護身術や知識などのことを意味することが多い。
特に日常の護身術や知識については、近代以降、歴史小説などが注目して題材に取り上げることはあっても、武術・武道修行者の多くが、非実用のものとして真剣に考えず、割愛してきた傾向がある。
私もそうだった。伝書ではその箇所を読み飛ばしていた。
ところが最近は猛省している。家伝伝書を紐解きながら、再勉強と実験稽古を始めている。
その成果の一部から、ここ数年、弘前城内や武家屋敷で、往時の弘前藩士の作法や武芸の実演展示をさせていただく機会が増えつつある。
そのねらいとして、最初は弘前城武家屋敷というモノだけでは、そこでどのように武士達が振る舞っていたのかわかりえないから、その技芸を実演展示することで、リアルに感じられるのではないか、という意図があった。
なお、各地で流行りの武士イメージ・ショーはやりたくないから(いや、見栄えがしないからできないのが事実だが)あくまで、家伝や旧藩士たちの伝承、古記録に基づき、現在わかっている範囲内で示すこと。
一方で「我こそ正しい」としたり顔で有職故実のウンチクを自慢するような愚もやりたくない。
(実際には、現代人の私がやっているので、まだまだ勘違いや失敗も多く拙い内容だ…。)
ともかくわがふるさとには、現代ビジネスマナーだけではなく、様々な歴史的作法や美意識の文化が存在したことを再認識し、自地域の尊厳を取り戻すきっかけとなればと思った。
だが、やっているうちに、私自身が一番学ばされていることに気が付いた。
本当に痛感したことは、私も含めて、近現代武道修行者の多くが、常に均質な試合コート上での技法、心身を当たり前としてしまっていることだ。
例えば幼い頃、剣道大会で地面やコンクリート、雪上で試合をやったとき、ふだん「正しい基本だ」とされてきた足遣いがほとんど使えず、驚き悩んだことを思い出した。
一方、競技場では優勝者でも、道場では通用する礼儀作法でも、そこから一歩出た日常生活でもその心身や作法が通用するとは限らないことが多々あるものだ。
しかしかつての武士達は「外で通用しないこと」は許されなかった。
試合場だけではなく、日常の様々な場面や環境に応じて、様々に知と技を駆使しなければならなかった。
そのたくましさ、豊かさを、近代以降、我々は失ったのではないか。
しかし、社会は変わっても、人間の心身構造は変わっていない。
だから、よく見てみると往時の外之物の知恵や技法のなかには、現代の護身術や、警察、警護、軍関係の基礎とも共通する要素がある。
このように武の特性、専売特許として、試合場のなかだけではなく、日常の各場面でも通用する普遍的な心身のありようについて、実体験を通じて考えてきたことがあるはずだ。
その基準は、大会ルールでも審判でもない。
個々がそれぞれ直接対峙している目前の現実だ。
5月4日の武家屋敷イベント「武士の魂」(http://bukehouse-hirosaki.jp/)も、そのようなことをみなさんと楽しみながら考えてみる場となれば幸いです。
観覧無料、事前予約不要です。ご笑覧お待ちしております。