先日、日本武道文化研究所のお手伝いで、秋田県角館市武家住宅街へ、武術史料調査へ行く。

もと林崎流居合師範家を訪ね、各流伝書類や刀剣類を拝見し、お話をお聞かせいただいた。

次々と出てくる武芸伝書のなかには、林崎流はもちろん、日下新流等の柔術につながるもの、家伝剣術と開祖を同じくする流儀の伝書で、塚原卜伝の一之太刀について解説しているものもあり目を見張った…。

いろんな術理が説かれていたが、時間がなくて、一部しか拝読できなかったが、改めて思う。

前近代の日本各地では、確かに、詳細かつ高度な武の術理が伝承されていたのだ。

大きな城下町だろうと、片田舎だろうと、インターネットが発達していなくとも、

個々の武士達は、己の心身を通じて、深奥な世界をのぞき、それぞれの哲学を構築していた。

いま偶然、紐解いているこの伝書にも、現代のどの武道書にも書かれていない術理がある。

近現代の有名な範士、教士等の師範方から、一度も聞いたことがないような術理がたくさんちりばめられている。

現代に生きる我々は、そのホンの一部しか知り得ていない。

それをもって「正しい」とか「唯一の」と胸を張ってしまっている。

私たちは、全く勘違いか、曲解していることの方が多いのではないか。

恐ろしいことだ。よくよく自省したい。

確かに、この世界はあったし、いまもなお、この世のあちこちに、我々の心身のすぐそこに埋もれているのだ。

これはなんと楽しみだ。

拙き私が、それをどこまでのぞけるのかわからないが、できる限り歩いていくぞ。