この10月は、己のルーツを巡る旅となりそうだ。

 まずは明日から、家伝卜傳流剣術、その開祖が生まれた茨城県鹿島神宮の全国大会へ出場。

その翌日は、同剣術を津軽に根づかせた弘前藩家老、棟方作右衛門の墓調査へ。

(なお棟方家は、弘前藩の忍者集団「早道之者」の支配役もやっていた)

その週末には、先祖が師範だった林崎新夢想流居合の開祖の地、山形県林崎居合神社での研究稽古会へ(hayashizakishinmusoryu.jimdo.com/event/event3/)。

どうして、この2週間内に、我が家の剣の聖地巡礼なってしまったのか不思議だ。

自らのルーツを見つめ直し、また新しく始めよ、ということではないかと。

 さて、その5歳から祖父と父から学んだ家伝剣術。

なかなか他人に教えることが難しくてしょうがない。

なぜならば、これは私にとって「いつの間にか稽古していた」ものであり「どうやって習ったのか」そのスタートが思い出せない。

祖父や父の教えも、言葉よりも身体の稽古だった。

最初はひたすら真似をして、そのうち互いに組んでは、ときおり何かの「わざ言語」らしきものが出るくらいで、無言の攻防で淡々と稽古してきた。

おそらくそれは、前近代の日本の武芸各流、アジア各地の各種伝統技芸の教導方法と同じだ。

よって、現代式講座のように「わかりやすく解説しよう」としても、なかなか出てこない。

我ながら嫌になってしまう。だからあまりやっていない。

 反面、長じてから研究稽古をした林崎新夢想流居合は、そうでもない。

形が示す動きへの違和感に、あれこれ試行錯誤してきたゆえ、様々な分析言語が出てくる。

おそらく、その技法の善し悪しは別として、幼少の頃から日常的にやってきた行為について、客観視したり、言語化することは、案外、難しいのではないか。

ときに、固定観念や刷り込みが己のなかにあることさえ、自覚できずにいることもあろう。

そのことがいいこともあるし、さらなるブレークスルーの障壁となることもあろう。

ともかく、このように私にとって外部向けの講座は、言語化しやすい、後者の林崎新夢想流居合の方が向いている気がする。

 それでも、先祖達は両流の免許を得た師範だったのだから、共通する身体、技法だったはず。試しに、二尺五寸以下の刀を用いる家伝剣術で、あえて林崎新夢想流居合の三尺三寸の刀を用いてみる。

小さい動きそのものを、拡大して見つめ直せるようで、新しい気づきが出てくる。

(実は私が、弘前藩の林崎新夢想流居合を復元、復興しようと考えた動機は、それとつながっていた家伝剣術技法を見つめ直し、己の質的向上を図るためだった。

よって当初この居合については、自分ひとりの教養、楽しみとして粛々とやっていこうと思っていた。

ところが、修武堂のお仲間に稽古をつきあっていただいているうちに、関心を持つ方が増えてきた。その分、私自身の学びも広がった。深く感謝している。)