古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

流行のメンタル・トレーニングをやっている方がいた。

よくわからないが、ときどき禅の公案や武芸伝書で聞いたようなことが出てくる。

きちんとやれば効果はあるのだろう。

しかし中途半端なやり方では「こうすればああなる」と、あたかも人間の心身を単純なマシンととらえているような世界観になりそうだ。

やっているうちに、心身が指導者のコントロール下に組み敷かれ、命令をよく聞く「機械人形」にならねばいいがと。

私もよくやるが、稽古で「こうであるはずだ」「こうすべきだ」という正しさに安心したい。

だが、おそらくこの広大な世界は、小さな私の正しさや思い通りになどなるはずがない。

ただ、目の前の世界には、己に与えられた分において、関与することはできる。

だから、最初から勝手な設計図を立てるのではなく、己自身が為すべきことを為しているうちに、目の前の世界との接触点から、いつのまにか出現してくる規矩こそ感得したい。

それが家伝剣術のなかの大太刀一本目、小太刀一本目から学びつつあることだ。

剣の稽古が、現代で役に立つかどうかはわからないが、

稽古のなかで、己自身の存在が変わる。

すると世界のとらえ方も変わってくる。

それに反応してさらに己自身も変わる。

という、輻輳的な自己変革体験は、誠に面白いもので、

そのつど私自身を新たにしてくれる。

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