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弘前藩の林崎新夢想流居合を復元、復興していくうえで、参考史料のひとつとしているのが、武家屋敷だった実家の引き出しから出てきた、近世史料「居合掌鑑」だ。

これは、同流浅利伊兵衛均録から山形半十郎茂高へ、そして我が父祖達である小山次郎太夫英貞とその子、小山次郎太夫英徴へと継承された系統の技法が記されている。我が家はこれを代々やってきた。

(ちなみに我が父祖達は、同流を「林崎新夢想流居合」または「林崎神夢想流居合」と記述しており、それ以外の流儀名を使用した記録を未だ発見していない。同じことは近代以前の弘前藩の各武芸伝書でもいえる。「當田流居合」という表現はその例外か)

作成者は、17世紀の我が先祖、小山次郎太夫英徴とみられ、同流の一連の形の所作を記した「備忘録」か。

ふところに入るくらいのサイズの簿冊だから、もしかしたら稽古で携行していたのではないか。

ともかく、ここに記されている形は、17世紀当時の弘前藩における林崎新夢想流居合の遣い方なのだ。

同じく、弘前藩の同流を継承された故寺山龍夫師範や故笹森順造師範等の系統による近代の記録と比較すると、技名は同じでも、遣い方には少々差異があるようだ。

それぞれの系統に敬意を表しながらも、やはり私は他でもない、この我が先祖達の系統をやるべきだと、少しずつ工夫してきた。

もちろんそこには、代々、併修してきた家伝剣術、卜傳流剣術の影響も強いはずだ。

しかし、あまりに簡素な表現で、仲間内しかわからないような記述で困ってしまう。

20代の頃は全くわからなかったが、最近、稽古が進むと、少し読めるようになったか。

この伝書も代々「他見無用」の教えを厳守している。

しかし、現在の私の研究稽古が、何を根拠としているのか証明するために、その一部だがご紹介した。

また、私も稽古相手がほしいので、読んで解析できた内容は、修武堂の稽古でみなさんに紹介し、共有しながら稽古を楽しみ、ときおり演武を披露してきたのである。

しかし、うっかり者の私だから、ときどき誤読も多く、研究稽古はいまも暗中模索だ。

特に「臥足」については、再読してみたところ、いままでご紹介してきた遣い方に、全面改訂が必要かもしれない…。

代々の師範で、これだけ迷った者がいたろうか。情けない。

だが、受け継いだこの世界を再生し、この先へ残していくためには、いくらでも恥をかきましょうぞ。