謹賀新年。実家では毎年恒例、剣術を活かした餅つきをやる。

お供えを作り、庭の稽古場の神棚へ。

その後、父と妹、愚息と我で剣術や剣道の稽古となる。

袋竹刀や木刀を用いて、父による様々な理合の実技指導だ。

道教士八段の父は、毎朝、北辰堂の剣道稽古で、七段や六段の高段者相手の地稽古を通じて、家伝剣術の理合を検証している。

もう高齢だが、剣道の自由な攻防のなか、中段の構えでの攻めと守りには、卜傳流剣術「生々剣」を活かし、互いの合い面では、斬り落とす技法を活用している。

昨日は、自由攻防で間合いを詰めていくとき、居着かず自在に対応できる心身のままで入っていくための呼吸について、大きな示唆をもらった。なるほどと膝を打った。

そして家伝剣術「中段の構え」について。

当流「中段」は、剣道の「中段」とは全く異なり「八相の構え」に近い。

左足を前に、左右の肘を前後に大きく広げ、剣先を後方へ寝せるように構える。

いかにも動きにくい。日本剣道形の八相の構えの方が、リラックスして動けそうだ。

だからか、袋竹刀による自由攻防では、構えを崩して使われる同系統ご流儀もあった。

しかし私は、左右に大きく両肘を張ることには、重要な機能があるとみている。

そのことで、身体に沈みがかかり、上半身と下半身がまとまりやすい。

しかもまとまったまま、左右へと瞬時に変化させやすい身体を獲得できる。

我が家伝剣術を使う場合、剣道式の前後中心の動きで使えば、相打ちはまぬがれない。

それは竹刀ならばいいが真剣ならば命がない。

だから左右の要素は必要不可欠だ。

なお、上下左右がまとまったまま急変できる身体であるためには、脚部の力みが邪魔だ。

それを解消するためには、林崎新夢想流居合の稽古が非常に効果的である。

例えば同じ林崎系統でも、己の手足を全く拘束してしまうような座法から抜刀する、窪田派の田宮流居合の古い形は、その理合をより鮮明に示している気がする。

同流を復元すべく、調査研究されている日本武道文化研究所・居合文化研究会M氏のご報告(Twitter@TyosakaLabo)は、大変示唆に富み、我々の稽古にとって希望となる。

それによれば、田宮家4代田宮次郎右衛門による田宮流極意書に

「肩を以て手を遣ひ、腰を以て足をつかふこと順なり。手より起り足より起る事、身弱き故也」とあるという。

これは年末に、居合とスキー技法との関連性を工夫していた我々にとって、大変説得力があり、思わず膝を打ってしまった教えである。

さらに同氏は、紀州田宮流系某流派で「双頭の龍に対するならば」という例えで「他流では無心に左右の敵を切ると言うが、当流ではまず一方の頭に乗り、一方を切る」という教えも紹介されている。

これも林崎新夢想流居合の二人詰でも多用する技法である。

具体的には、左右から小刀で襲われたとき、片方の敵の両腕の上に座って制しながら、反対の敵を斬るという技法等がある。

やはり同系統のご流儀には、共通する教えがたくさんあったのだろう。

だが残念ながらその多くは、日本全国から失われてしまった。

いまの我々は近代産を「伝統」と思い込み、全く違う稽古をしている場合が少なくない。

「正しい答え」がどこにあるのかわからず、荒野を模索する我々の稽古にとって、

先人達の教えのなかに、少しでも重なることがあれば光明となる。

「それほど間違ってはいなかった」と安心し、これから先の大きな励ましとなるのだ。

皆様、本年もご指導、ご高配賜りますようお願い申し上げます。