津軽のくらしと武の稽古は、極寒から逃れられない。

幼い頃は毎朝、刺し子の剣道着に袴を着け、オーバーを着たら北辰堂へ走っていった。

戦前の建物だから、断熱材とは無縁、すき間風ばかり。

真冬でも全く火の気を使わなかったから、外にいるのと同じ寒さだった。

昨日使った稽古着も面も小手も、暗闇のなか凍り付いている。

各自それらをバリバリと割るようにして素肌に着け、体温で溶かしていく。

板の間の床も、全面が霜で凍り付いていた。

その上を裸足で稽古する。冷たさは、剣山の上を歩いているような痛さだった。

霜が溶けてくると床は滑るから、面を打った勢いでよく転倒した。

雪原で裸足のまま、互いに頭に付けた風船を叩き割るバトルロワイヤル稽古もやった。

激しい地稽古が終われば、体は火のように熱く、吹雪のなかでも素っ裸で帰れる気分だった。

祖父も父も先生方も、みんな毎朝その繰り返し。

それが当たり前なのだと思っていた。

現代のような、冷暖房とシャワールーム付きで、すべすべの床下にスプリングが仕込まれた武道場には全く無縁だった。なんと不健康な。

だからか私の足裏は進化し(?)ムレやすいのだ。

しかしいまでも、雪に圧倒されながら、なんとか生きていることに変わりはない。

昨日も夜の帰り道、街路はすべて雪やぶになり、吹雪に目を細め、ぬかりながら歩いてきた。

多様な歩みと身体が要求され、いい稽古になる。

青森市街ベイブリッチ下、久しぶりに息が止まり、体ごともっていかれる強い地吹雪を何度かくらう。

巨大な龍がのたうち回るような吹き付けで、目が開けられない。

アイスバーンでは、安い私の長靴は、ツルツル滑って転倒しそうになる。

下がコンクリートの場合、後頭部を打ったり、肘や膝を打ち骨折する方もいるから危ない。

「薄氷を踏む」「手足よりも肩と腰を使え」という古流の教えを、必死で稽古できる。

雪やぶもアイスバーンも田宮流の古い教え「手足よりも肩と腰を使え」はかなり有効だ。

意識しない方が、足が精妙に働き、よりスムーズに歩んでいけるとは面白い。

駅に着き、帰りの電車がよくぞ動いていたと感謝。

帰宅すれば、シャベルとスノーダンプで、玄関前の重い雪片付けが待っている。

庭の稽古場へ行くにも、深い雪を掘り進み、一汗かいてからやっとたどり着く。

雪片付けの力の遣い方も、武の稽古になる。

しかし本当に大変だ。我ながら、津軽の人々はよくこの極寒のなか毎日生きていると思う。

だが、手ぶらで薄着のまま、フラットで安全な街路を歩けた夏よりも、私はよく動いている。

大自然の猛威につぶされまいと、ささやかな装備とともに、心身と五感を総動員して暮らしているいまこそ、「わたしは生きている」という確かな実感がある。