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家伝の卜傳流剣術「裏」四本目は玄妙だ。本当によくできているがよくわからない。
昨日の修武堂定例稽古では、家伝剣術大太刀「表」五本から「裏」五本を皆さんで一緒に稽古した。
その説明で、また私が間違えた。
先日以来、左肩を痛めたうえに、風邪でフラフラだったため、暗愚さが増していたようだ。
それでも、慣れ親しんだ稽古道具は、自分のココロとカラダを整えてくれる法器になる。
帰宅して、愛刀(真剣)を撫でまわしていたら、少し体調が治ってきた感じがある。
冷静になってから反省を始めた。
間違ったのは、裏の四本目だ。
不可解でいつも私を悩ませてきた形である。
中段と斜の構えで互いに間合いを詰めた後、互いに鏡像のように片方の肩に剣を担ぐやいなや、同時に同じ太刀筋上で袈裟に斬り合うのだ。
以前、人前で父とこれを演武した際、未熟な私の太刀筋も拍子も調子もすべて駄目だった。
勝負で「速さこそ大事だ」と考えるのは、実地経験が少ない初心か素人の発想である。
この形についても、剣道初心者のように、ひたすら相手より速く打ち込もうとするだけでは全く通用しない。
やってみれば、素面素小手だから、互いに無事ではいられないことを痛感するだろう。
そのときは、空中で互いの木剣が折れるかにように激しく絡みあい、形が成立せずに恥をかいた。もう少しで互いに木刀の直撃をくらうところだった。
それ以来、またやったら必ず相打ちとなる。いくら木刀でもこんな危ない技などありえない、と考えてしまった。
ところがスッキリしないので、亡き祖父が遺した口伝書を読み直した。
やはり、本日の私の説明は少し間違っていた。
しかしやはり、この通りやったら相打ちではないか。
実際にもう一度試してみよう。
息子を相手に、木刀同士、袋竹刀同士でやってみた。
なんと不思議に形の要求どおり、技が成立するではないか。
同じ軌跡上で斬り結んだ太刀同士だが、打太刀の刀だけが反れ、我の刀は相手の首筋へスルリと入っていく。
私が間違って紹介した遣い方の場合、相手の力を直接受け止めてしまい衝撃をくらうが、この家伝本来の遣い方ならば、相手の力を受け流してしまうから負担が少ない。
それにしても、さらに他の要素も同時に関連しているようなので、何度かやって考えてみたが、なんで成立するのかまだ分析できていない。
たとえ私がアタマで考えて納得できなくとも、実際の技では、成立することがある、ということだ。
いや、へたに分析してしまうと技が壊れてしまいそうで怖い。むず痒いままでそっとしておいた方がいいのかもしれない。
ともかく、このような理を発見した先人達の知恵にうなってしまう。