い風邪から、10日ぶりに体調が戻ってくると、心身の変化がありありと感じられ面白い。

せっかくの機会だから、内観し、観察している。

重い肉の塊だった全身の重さが消え、別人の体を借りてきたような軽やかさを覚えてきた。

両肩の詰まりが抜け、柔らかく下へ、ストンと落ちていく。

身体の中央部、背骨のまわりを、透明で軽い筒状のカーテンが上へと立ち上っており、そのおかげで地面に立ち上っているような気もする。

ギシギシきしんだ各関節が消え、どこが節かわからない柔らかい布のような腕となる。

その分、ココロと身体の連携が復活し、精度が戻ってくる。

片手で箸を落としても、無意識のうちに、逆の手がフォローするようになる。

本当は、ふだんこれだけラクだったのか、と新たな新鮮さを覚えた。

ところで、東北各地で発見されている林崎新夢想流居合の絵伝書の多くは、術者の身体を逆三角形で表現し、その胸の中央部、中丹田のあたりに黒い点やかたまりを描く。なぜだろう。

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(「林崎新夢想流居合極意秘術唯授一人目録 向次第」筆者蔵、この絵では棒状で描かれている)

私の勝手な推測だが、あれは絵画的表現だけではない。往時の人々の身体感、重要な示唆ではないか。

今回もそのことを考えさせられたことがあった。

体調不良のときの私は、なぜか胸の内側のその部分が、空っぽか、ぺしゃんこにつぶれていた感覚があった。

治ってくるとその部分が、内側から確かな密度と熱を持ってふくらんできた感がある。

なぜかそのことによって、心身が格段に爽やかに満ちてきた。

その反面、リセットされた身体に、ずっと癖だった動きも、また蘇ってきそうだ。

その蘇る寸前の感覚から、なぜそのような動きに陥っていたのか、以前とは異なる視点から見つめ直せる予感がしている。

なお、ひとりの身の内の「権衡」(家伝の卜傳流剣術の教えより)を取り戻したら、それをより大きな外界へと拡張して、溶け込んでいくのは明日からかな。

以上、病み上がりの閑人の妄想にて。