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古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

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(小山百蔵英正「居合掌鑑(林崎新夢想流居合)」小山秀弘(卜傳流剣術宗家)蔵)

2月11日(土)東京での林崎新夢想流居合稽古会。修武堂 | お知らせ

このような津軽で熟成された古流を首都圏で稽古できる機会はほとんどない。また、近現代以降に定着した、居合の一般的なイメージを見つめ直す機会にもなろう。

まだ空きがあるようなので、ご縁のある方はお待ちしております。

前回までは形の手順だけだったが、今回はその質を高めていきたい。

まずは、いにしえの武士たちの基本座法「趺踞(ふきょ)」を体験いただく。

これほど両脚を折りたたんで低く座って動けるのか。刀が抜けるのか。

実は正座以前、日本各地の古流居合もやっていた古法だ。

前近代の東アジア各地(シラットや中国拳法など)でも多用されていた座法でもある。

これだけでも、己の身体を根底から充分に見つめ直す稽古法となる。

誠に窮屈な姿勢から、何が導かれるのか。耳を澄ましたい。

そのあとで「きわめて静かに」三尺三寸の長大な刀を抜いていきたい。

全身360度の「権衡」(卜傳流剣術より)を求められる。ぜひ堪能していただきたい。

それが楽しくなれば、一本目「押立(おったて)」の形は、自ずと成立してくる。

己ひとりの権衡ができたら、それを対人関係のなかに投げ込む。

我が刀を動かせないほど密着した敵が、短刀で突いてくる、という危機的状況のなか、いかに発揮できるかという稽古が始まる

なおこの「押立」は、最初に学ぶ技であり「極意」でもある。

この質を探求するだけで、一生、稽古を楽しむことも可能だろう。

これができれば、このあとの形群や立抜刀もすべて、その延長上にみえてくる。

なお私は、ここ10日間くらいの体調不良から復活して、身体の大切さを痛感した。

現代における武の稽古の必要性を感じた。

すなわち、スマホが普及し、座ったままほとんどのことができるようになっても、我々人間は必ず、己の身体を窓口として、目前の世界を感じ、とらえている。

だから、私のようにその精度がおかしくなると、世界の認識もおかしくなり、遅れをとる。

それは西洋の先学者たちが唱えてきた身体論とも重なる。

これから、AIやロボットがすべてを代行してくれ、人間が肉体を使わなくなって鈍化させてしまえば、我々は目の前の世界に対応できなくなって、はぐれ者となり、やがて生物として撤退せざるをえなくなるのではないか。

せっかくこの世に生まれたのだから。

この稽古を通じて、感度の高い心身となり、現実世界の深さと精妙さをじっくり堪能しながら、楽しく生きていきたいものだ。

 

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