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古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

武の稽古には、その人なりの世界への向き合い方が、如実に現れることが多い。

これはつくづく、私自身の深い反省である。

往々にして、ものごとに出会った瞬間、己のクセによる先入見、または誰かにもらった既製の視点でとらえてしまう。

ことに武はその特性から、個々のプライドと直結してしまいやすいから、大変難しいことにもなる。

すると本質が見えなくなって遅れをとり、人ごとにその後の展開が変わってしまう。

可能性を拓くこともあれば、自ら限界をつくり、自縄自縛の苦界へ迷い込むことも多い。

その積み重ねが、いまの愚かな私を作っている。

その滑稽さは当の本人には見えない。第三者ほどよく見えてしまう。

これはまさしく武の、剣の立ち会いでの失敗にも似ている。

まずは、現象世界ありきなのか、己のやり方ありきなのか、で、その人の現実への対応力、生きのびていく強さは、全く変わってしまうだろう。

父が、長年の剣道地稽古で学んだことは「はい、いらっしゃい」だ。

すなわち、攻防のなかで、我が構えは、自分ではなく、相手が決めてくれる、ということだ。

それは己を完全放棄して、相手にゆだねきってしまうことではない。それでは瞬殺される。

自ら堅牢な心身の構えを整えたうえで、こちらから主体的に相手へ関係を投げかけ、それに応じてくる相手へ共鳴していくのだ。

そうなると高齢の父でも、高速で正確な打ちを繰り出す、若い機動隊特練生の猛者相手に、先の機をとらえて難なく応じ技が出てくるものだ、といっていた。

さらに武で、同じ状況による出会いと攻防は、二度と発生しない。

形の所作や状況設定も、実際の攻防では、生涯一度も経験しない可能性が高い。

人と人との出会いと同じだ。

「尊き先人の教えだ。少しでも違えるな」と、外形のみ刷り込むほど、動けなくなる。

(ただし私は、剣道地稽古で、無意識のうちに卜傳流剣術の形そのままの技が出てしまったことが何度かある。後述する)

もとい。英会話でも、会話例をいくら覚えても、生身の人間相手では二言目にはテキストと異なる答えが返ってくるから、すべてが崩壊する。

では、そこからなにを学ぶのか。

目には見えぬが背後を流れている文法ではないか。

ひとつひとつの個別性を乗り越え、つないでいる法、ことわりを学ぶための形は、往々にして素朴だ。

だから、その流儀の重要性は、形の派手さや本数の多寡ではない。

法なく、特殊な動きをする武技ほど、見栄えはしても、その動き以外には展開できない。

形の背後を流れている法式は、稽古のなかで、その形が何度も揺らぎ、何度も崩壊しそうになり、我々の先入見もはがれ落ちたなかから、ある日、意外なかたちで出現してくるようだ。

そのとき、いままでの稽古が、自分が揺さぶられ、全く新しい地平と希望を感じた。

センスのない私は、そのような喜びを数回しかしていない。

しかし、今日もまた、次の出現を待ちながら、徒労のような稽古を続けている。

(追記)

剣道地稽古で、思わず家伝の卜傳流剣術が出てしまった主な事例。

小学生の頃は、団体戦大将同士の決勝選で、思わず家伝剣術式の折り敷き胴で勝った…。

学生の頃、剣道教士七段で小舘俊雄派の小野派一刀流宗家故T先生によく剣道地稽古をいただいたが、あるとき思わず家伝剣術折身一本目が出た。

相手が面を打ってきたのを陰の構えではじき、薪割りのような小手を返してしまった…。

長じて、剣道範士八段O先生との剣道地稽古中にも思わず家伝剣術裏一本目が出た。

相手が打ってきた差し面を抜き、脳天唐竹割りのような激しい面打ちを返してしまった…。

剣道では全く認められない大技だったが、優しいお二人の師範から、その場でお褒めをいただき、大変恐縮した。

またあるときは、国体選手だった教士七段の方に地稽古をお願いした。

以前、先輩が地稽古で、突きの猛打をくらい「殺されそうになった」と恐れていた方だった。生意気だった私は、己の修行にしようとあえて挑戦した。

蹲踞して互いに中段、剣先で攻め合っているとき、家伝剣術生々剣のように、間合いのなかで緊張が生まれる空間を感じたら、ポッ、ポッと、それを空中で解消するようにしてみた。

するとなぜか相手が全く打ってこない。面金の下で迷っている様子が感じられた。

おかげで私も落ちついて攻防ができた。

私が帰った後、その方は父へ「息子さんもなかなかやりますな。どこで稽古されているのですか」と聞いてきた。父は「アイツは一年ぶりの剣道だ。普段は勝手なことをやっている」と答えたという…。

以上、剣道という一定のルールのあるなかでの拙い体験だ。

しかしこのような体験報告をすると、甲野善紀先生にはお喜びいただいた。

お会いするたびに「古流剣術で現代剣道を圧倒できるほど強くなるべきですよ」と激励されているからだ。私にとってはまだ遠い境地であるが。

しかし、その後、低段者の私だから、高段者の方から剣道式「正しい基本」への矯正指導が始まった。ヘソ曲がりの私だから、それで次第に、剣道稽古へ足が向かなくなった。ダメだなあ。

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