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武は、剣は、自分だけ立派に動いていればいいのものではない。
相手との関係性のなかでこそ、武は生まれる。
人間関係そのものだ。
そのとき、古来から重要視されてきたのが拍子や調子などと呼ばれる、己の心身のリズムそして相手との関係のリズムだ。
家伝の卜傳流剣術では、それを「風波の伝」で説く。
特に、具体的な形があるわけではない。
(そもそも形とは、具体的な技だけではなく、無形の理合を学ぶための仮の器にすぎないことがある。)
伝では、自然界の「風」と「波」の特性と、それぞれが連関して動くことに例えて説明する。
例えば「風」という存在は、どれほど強く吹いても、短く吹くことはない。
充分に吹いて止んだとしても、実はその勢いが完全に止まってしまうことはない。
それと同じ位は「波」にも備わっているという。
それを小太刀の技に使う。
小太刀は、その武具としての特性上、先をとるよりは、後の先に向いている。これは稽古してみればすぐわかる。
だから、相手を、先をとって動く「風」に見立て、我はそれに付き随うように変化していく「波」となる。
決して速さは重要なことではない。長い拍子を使うことこそ大事だという。
このことは実技稽古で体感できる。
例えば家伝剣術小太刀「表」二本目の形。
我は右手に小太刀を捧げ、大太刀を振りかぶり構えている相手へスルスル間合いを詰める。
間合いに入るや否や、相手の大太刀が振り下ろされてくる。
それを我は、全く触れずに、全身ごと左右へさばいてかわす。
慣れないうちは、全くかわせない。いくらフットワークを鍛えても間に合わない。
袋竹刀でやれば、何度も身体のあちこちを打たれるものだ。
だか、あるとき、ふとできるようになる。
身体運用の根本システムが転換するのか。
あたかも、打ってくる相手の気配がそのまま、我が身体が変化するスイッチとなる。
相手がスイッチを押してくれるからこそ、自動的に我が変化するような感じとなる。
あたかも、風に随う波のように。
稽古のなかで、いかにふだんの自分の内面リズムが、ちぐはぐだったか内省させられる。
決して難しいことではなく、どなたでもできるようになるのだが、どうしても形でわからない場合、当流では、そのヒントを体感するための特殊な器具もある。
(わたしはその器具を、100円ショップで材料を買って製作して、堪能している)
その感覚で雑踏を歩けば、背中越しに、各人それぞれの個別の内面のリズムが、感じられてくることもある。
すなわち、この稽古は、戦いだけではない。
拙い私にとって、日常の心身の質的向上、より良い人間関係の構築など、平和利用にも充分役立つようだ。