難解な古伝の形。まるで、身体と五感で解いていく謎かけパズルだ。

単に根性でカタチを繰り返しても見えてこない。

所作をなぞるなかから生じる違和感がヒントだ。

それを楽しめば、道場だけではなく、日常生活のなかでもいろんな気づきが浮かぶ。

長い模索のなかからふと、全くあきらめていた動きができるようになる。

その発見を若い方々や息子に伝えると、彼ら彼女らも、今までできなかったことができるようになる。

そのうち、すぐに私より上手になる

なんだか、私の探求が間違っていないと証明してもらったような、孤独から救われたような気がして、ホッとうれしくなる。

おそらく私の生は、見えなくなった古い街道を掘り出し、後から来る人々が、より先へと行きやすくしておく係かもしれない。

家伝の卜傳流剣術「変形(へんぎょう)」五本の形も、近現代武道の基本では解析できず、はなはだ難解だ。対外的にも演武したことがない。

難しいから楽しめる。とくに三本目。

我は剣を、左右に両肘を張った上段に構え、前へ懸かり、少し早めに間合いを詰める。

すると打太刀は、最も手前に突き出している我が左肘を斬ってくる。

自ずとそうしたくなるだろう。

すると我は、前進中でありながら、全く異様な動きをする。

真っ向から斬り下ろされてきた刀を、左前足を引いて、のけぞるようにかわし、すぐさま相手へと斬り返すのだ。

前進中に、いきなり後方へ反転する抜き技などできるものか。

その切り替えポイントで居着いた瞬間を、狙い撃ちされるに違いない。

抜き技について、例えば竹刀剣道地稽古では、かなりの技量差ならばできるが、互角以上の場合、なかなかできないものだ。

しかし、このような抜き技は、日本剣道形一本目や津軽の各古流でも使う。なぜだ。

もし本気で打ってこられたら間に合うものではない。

それを精神論だけでは解決できない、と不思議に思うのは私だけだろうか。

ひとつの推論として、これらの高度な抜き技が、各流で当たり前のように残されているのは、それが、我々現代人が多用する地を蹴る足さばきではなく、全く異質な身体運用だったからではないか。

なお、この抜き技は、家伝剣術では先行する「裏」の形でも学ぶが「変形」はその応用だ。

相手の斬りを抜いて斬り返す際、全身に左右の変化を含ませるのだ。

自分のカラダで模索するなか、出てきた所作がある。こうならざるをえないと。

しかし本当にこれでいいのか。亡き祖父が書き留めた記録を再読してみると、合っていたからホッと安心、勇気づけられたとともに、よくよく考えられた構造に驚いた。

左右の足は、踏みしめている暇は全くなく、あたかも水面を滑るミズスマシのように、低空で差し替わる。

そのためには、足を使うのでは間に合わず、体幹と刀、構えが一致させることで変化する。

さらにその後の残心の所作だ。

いままで意味不明だったが、だんだん隠された技法が感じられてくる。

どうやら最後の所作は、ここまで変化してきた慣性力をそのまま活かして、全身の重さを乗せた突きを相手の胸へぶつけていく動きとなる感じがしてならない。

たとえ強固な剣道防具を着けていても危険だから、あえて稽古では、所作をずらしているか。

以上、この形の理合を17世紀の先師、棟方十左衛門らは、伝説の神獣「朱雀」に例えた。

その意図はまだ見えてこないが、少なくとも伝書の記す「甲をも打ち割る」技の一端を体感できるだろう。