家伝の卜傳流剣術の小太刀稽古は、仕太刀(弟子側)が構えを打たれることから始まる。

なぜだろう。

剣道や剣術の地稽古では、間合いに入るや否や、ドンドン打っていく方が気持ちがいいし、技が伸びやすい。

幕末以降そのようなシナイ打ち込み稽古が流行したらしい。竹刀剣道の稽古方法の多くはそこから始まった。

だが、ややもすれば、打っていく側は、打つ前の攻めは濃密でも、打った瞬間、打った後の心身が空疎になったり、居着いてしまうことも多いのではないか。

一方、打たれる方は、技前の攻防、互いの剣が接触した瞬間、その後…と、次々と変化していく彼我の間合いと関係性を、時間に深く入り込んでギリギリまで濃密に観察、体感できる。

これが稽古で師匠側が務める「元立ち」の醍醐味でもある。

家伝剣術では、その打たれることを弟子側も学ぶ。

最初から打ち合いをさせてくれないのだ。

まず、右片手に小太刀を持って構えはじめる。

このとき、まずは左右に腕を少し開いて、小太刀と全身をひとつにつなぐような所作をする。

そして、旭が登るがごとく、小太刀を掲げていく。

(なお家伝剣術小太刀では正対する姿勢も使う。日本剣道形のように間合いをかせぐため、常に小太刀側を前に突き出す右半身のみでは、左右への変化に乏しくなるからだろう)

すると自ずと、小太刀と一体化した我全体に動きが生まれる。

この初動は、いつものように闘志満々、地面を蹴って生み出した自力ではない。

最初の意は自分だが、その後は自分であって自分ではない。

まるで濁りのない清流のように、自然と流れ出てくる動きだ。止められない。

その流れと我と小太刀とすべてがひとつになって、間合いを詰めていく。

推進力が自力ではなく、両脚が地面から開放されているから、途中で変化できる。

相手(打太刀、師匠側)と我の状況変化を冷静に観察できる。

しかし、剣を振り上げて待ち受ける相手にとっては、異質な世界が感じられる。

あたかも小太刀の構えが、車輪か水流のように切れ目無く、音もせず、近寄ってくる。

構えながら仕太刀が間合いを詰めていくこと自体、先をとって相手への攻めとなっている。

その威圧感に痺れをきらした打太刀は、間合いに入るやいなや、遠慮なくその構えを打ち落としていく。

だが、その瞬間も、その前後でさえも、仕太刀は一瞬たりとも止まったり、居着いてはならない。

そうすればその瞬間、必ずや打ち落とされよう。

どうなるかと怖がってもいけない、こうしてやろうと願ったり期待してもいけない。

打たれる前も、打たれた瞬間も、打たれた後も、ただ「平常心是道」同じ心身で歩んでいく。

異常なことではあるが、そのことこそ、打太刀の恐ろしい斬りを受けない八面玲瓏の身となる方法なのだ。

すると不思議なことにときおり、遠慮無く狙い撃ちしたはずの打太刀が、空振りしてしまう現象が発生する。

両目裸眼2.0の私でもそうなるときがある。打太刀も仕太刀も全く実感がともなわないので、もう一度やって同じ現象となったりする。まるで狐にだまされたような感じがする。

その現象は、旧八戸藩に残された「願立剣術物語」の記述と酷似する。

源流が親戚関係にあたるから、同じような理合があっても不思議ではないだろう。

だが、それを奇貨として、空振りさせようと囚われてもいけない。

その現象の再現に居着けば、次は必ずや打ち落とされる。

何がおころうと全くかまわず、相手のことなどどうでもいいから、ただただ、己の心身が小太刀とひとつになっているかどうか、天地に居着いていないかどうか、その権衡(バランス)だけを注視する。

この稽古はそのまま大太刀でも同じことを行う。初心者には教えるなと伝える稽古だ。

このなかに、構えや歩法など基礎的な術理が自ずとすべて入っていることが自ずとわかってこよう。

この後で、さばいたり、打ったり、手をとったりと、具体的な技の攻防を学んでいくが、それらすべての技の発現の仕組みについては、やはりこの素朴な形から学ぶのである。

前述した囚われずにそのまま入っていくべき間合い、時空について、そのまま不感症になるのではなく、より深く濃密な時間を見つめて体験しておくことが大事となる。

すると具体的な技法へ進んだとき、その間合いにおいて、先をとられた打太刀がこらえきれずに斬りを出す、その気配が、我の技の発現を生むことを、じっくりと楽しめるようになる。

「己の技は自分が決めるのではなく相手が決めてくれる」という父の感覚もそうだろう。

そしてその心身は「為すべきときに、為すべき場に居て、為すべきことをする」という武士たちが求められた役割にも通じたろう。

そこには武が、独りよがりの暴力を超えていく示唆があろう。

武の稽古とは、あまりに抽象的すぎてもだめであり、あまりに即効性を求めたり、あまりに曲芸的でもだめだ。すぐに通用しなくなる。

そのなかでもこの稽古はあまりに素朴で、演武でやれば愚者のようで失笑を買うだろう。

当流はそんな稽古ばかりなので、現代ではほとんど広がらない。

だが、実際に体験してみれば、その不思議さ、玄妙さ、コロンブスの卵のような展開に、顔色が変わられる方が少なくない。

私自身、稽古だからこそ成立する曲芸であり、実用性があるのかと、大太刀相手に、小太刀の袋竹刀で、自由稽古を試したことが何度もある。

するとふだん、間合いを詰めるときにあれだけ大太刀に打たれたのが、急に打たれにくくなり驚いた。

剣道部時代あれだけ地面を蹴って足の皮をはいで流血していたのとは全く異質な技法だ。

ただ間合いを詰めた直後、私自身の焦りで、その状態を壊し、いつものモグラ叩きに陥る。

さて、全国武者修行で無敗を誇った弘前藩士浅利伊兵衛。

彼が他流仕合をしたとき、どんなに速い相手でも、扇子や小太刀片手に、なんなく間合いを詰め、相手の動きを封じてしまったという神業エピソードが多い。

神話だろうと思っていた。しかしそれでは、永遠に気づけないことがあるのではないか。

私のような暗愚でも、それを実際の理合いとして遠望しながら稽古していくための、具体的な道しるべにしていきたい。