形とは何か。なぜ必要なのか。

わが家にも中近世以来の素朴な形がある。

己の好き嫌いを言えず、淡々と継承してきた。

亡き祖父は、明治末期に、卜傳流剣術を代々伝えてきた一族の長男として生まれた。

少年期には、旧藩の各武芸師範達や戊辰戦争を体験した武士達がまだ生きていた。

一方全国では、武士達の武芸が衰退し、新しい人々による近代武道への移行が始まっていた。

やがて旧弘前藩の各武芸師範家達も、我が家以外すべて、血脈による代々の技芸をやめた。

残った伝承の一部を、有志達がつないでいった流儀もあった。

そのなかで、ややもすれば、伝来の口伝があいまいとなり、形の所作も不明となり、様式化していく流儀や、全く形を捨ててしまった流儀もあったろう。

一族で伝承しているといえば、現代社会では「親子だけの稽古では独りよがりになりやすい」という批判もある。確かにそうだろう。

だが一面では、それが我が剣術の継承を守ったのかもしれない。

生まれたときから起居を共にし、強制的に教えていれば、たとえ言葉は少なくとも、無意識のうちに感覚と全身すべてで伝承されてしまう。その情報量は膨大だ。

(実は私は、順序立てて習った記憶がなく、いつの間にか稽古していた。

だから他人への教え方がよくわからない…。

よって広く一般の方々へご紹介するいまは、家伝伝書の再読をしながら、自己分析と内省とともに稽古を見つめ直している。)

あれこれ自由選択等が許されずに継承した者が、最後までその伝承の責任をとる者となる。

昔の諸職の職人たちもそうだったろう。私もそのように生きていく。

弘前藩最後の武芸師範家として、近代と対峙してきた祖父は、孫である私へよく教えてくれたことがある。

「形稽古ばかりではバカにしてくる人がいるものだ。だからそれに負けないよう、竹刀稽古も充分にやって実力を磨いておきなさい」

確かに近代は、そのような時代だったのだろう。

そのため日本各地では、伝来の古法を、近代式に改変した流儀も少なくなかったようだ。

加えて近代武道は、自らも新しい「形」を編み出した。

そのなかには、かなり具体的な技の手順を示すものがあり、我々がすぐに共感、理解できる。

だが、カタチが具体的なものほど、手順が明らかなものほど、その先が尽きやすい。

すなわち「こうきたらこうする」という即物的な手順は、状況が少しでも変化すると無効だ。

変化を旨とする武では、命を預けるには不安である。

確かに江戸時代でも、そのようなすぐ理解できるマニュアル的な形は生まれていただろう。

だがそのような形は、変化づくしのシナイ稽古や乱取りの流行の前には、無力だったろう。

一方で、古い流儀の形のなかには、即物的な手順として考えれば、全く説明に苦しむものが多い。

我々現代人の感覚や心身が変わってしまったこともあろう。歌舞伎の所作が見えなくなったように。

もしかすれば古い形は、近現代の我々が考える「形」と同じ存在ではなかったのではないか。全く異なる存在として認識され、扱われていたのではないか。

いまわかることは、そのなかの所作に無意味なものはないだろうことだ。

それを己の愚かさから「無意味だ」と捨てたり、改変してしまえば、形は本当に生命を失ってしまうだろう。生命を失った形こそ、自由稽古の前には全く無力となるだろう。

例えば家伝剣術の小太刀。最初にまことに奇妙な所作をする。

右手の小太刀を腰あたりに真横へ構え、左掌でその刃部をなでるようにする。

口伝では「刃の向きを確かめるため」という。それから具体的な技を遣う。

わたしもその通り稽古してきたが、どうやらそれは単なる礼法やまじないではない。

その所作を行うときに発生する身体に気づいた。

我が身体を、真横につらぬくように走る、見えない水平器が、左右の権衡が生じる。

加えて、朝日のように昇っていく小太刀が、前方への流れを生む。

これらが組み合った規矩によって、我が構えと身体が、前後左右の権衡を保ったまま、相手へ間合いを詰めていく。

これは、鈍重な私が、いくらがんばっても立ち上がらない、自由稽古や地稽古の繰り返しのなかでは、なかなか気づくことができない、透明で確かな身体の規矩である。

どちらにも偏っていない中庸だからこそ、相手の先を察知できる。

真っ向を斬ってくる太刀を、左右へかわすことができる。

その規矩を壊して相手に打たれる要因を生んでしまうのは、我が、驚・懼・疑・惑の四戒だ。

このような剣術稽古で学べることは「死ぬ気でがんばれ」と、できるかできないか、バクチを打つ無謀さではない。

目前の虚空で、混沌とした混乱のなかで、我が心身の置き所を知る、ということか。

為すべきときに、為すべき場で、為すべきことを成す、ということであろう。

このような規矩は、おそらく先人達の身体にも発生していたのではないか。

だとすると、時代遅れの稽古をしている私は、

その瞬間、ちっぽけさから抜け出し、

この形が実際に活きて使われていた先人達、形が生まれた遙か遠い開祖の心身へと、

時空を超えてアクセスしていけるのならば、これほどうれしいことはない。

武の先人達が遺してくれた形は、開会セレモニーや昇段試験、懐古主義、サムライごっこのためではなく、

時代は変わろうとも、混沌として切実な目前の世界を生きぬくため、実践のなかから見出されてた、普遍的なことわりのヒントを示しているのではないか。