ときどき剣道高段者から、

「剣術は形ばかりで、剣道のように打ち合わないから痛くない」というご批判をいただく。

しかしこれは近代の誤解である。

研究史が示すように、近世初頭から各地の剣術流派は、袋竹刀を使った当てる稽古を始めていた。

我が家伝の卜傳流剣術の先祖達は、地稽古、乱取り、組手、スパーリングなどのような、互いに自由に攻防しあう稽古のひとつを「試剪」と表記している。

いまは朽ちてしまったが、当流独特の袋竹刀とその製法もある。

それを使った「陰の仕合」なる稽古法もあり、形稽古(切組)の最後の形は、袋竹刀による自由攻防となる。

藩内各流派も独自の竹刀稽古をやっていたろう。

しかし文久2年(1862)弘前藩が全流派それぞれの稽古法を、一刀流方式または幕府講武所式の竹刀稽古へ強制的に統一した。我が家も五代前からそれを導入した。

さらに近代以降、急速に普及した撃剣や剣道の稽古方法が、それらを上書きしていった。

日本各地でも同じような変遷があったのではないか。

その歴史が忘却された現代では、現状が「古来からの不変の伝統」と誤解された。

「剣道こそ最強の武道だ(?)」と大会で胸を張られる高段者まで登場しているから驚く。

さて、時代の趨勢はともかく、我が家の竹刀稽古、剣道稽古は、選手権大会出場や昇段試験が目的ではなく、本来の家伝剣術を磨くためのひとつの手段だ。

一般の方々との稽古では「公式」剣道スタイルを遵守するが、

自分の稽古では、修武堂および弘前大学古武術研究会の有志の方々にもお付き合いいただき、好き勝手な実験を楽しんでいる。

だからか、剣道教士八段の父でさえ、その剣道に家伝剣術の要素がかなり交じっている。

剣道部の愚息と、小手と薄い格闘技フェイスガードだけつけ、特性袋竹刀「源悟刀」を構え、思いのまま自由に打ち合う。打突部位制限もルールも特に設けない。

刀VS刀、小太刀VS刀、小太刀VS小太刀、二刀VS一刀、槍または薙刀VS刀、槍また薙刀VS小太刀…など、楽しみながら、いろんな想定を実験してみる。

ときどき、故加川康之氏が遺してくれた稽古用鎖鎌VS刀も。

息子は、ルールのある剣道よりも、こちらの方がうまいかもしれない。

先日の一般向け体験会でも、メチャクチャに木刀を振ってくる初心者相手に、剣道有段者の方々が苦慮するなか、彼はしたたかに対応していた。

自由攻防は本当に難しく、失敗が多いだけに多くの気づきも生まれるから貴重だ。

その悪戦苦闘のなかから、近現代の武道が忘れた、古い武術が伝承していた多種多彩な術理や技法が、カタチばかりではなく、生き生きとした実効性のあるものとして、体験的に知らされてくる。

すると古流の演武大会が、意味不明の所作が続くセレモニーではなく

「あの所作は、あのときの稽古で体験した状況に関わるヒントではないか…」

などと具体的なものとして面白くなってくる。

例えば、近世絵伝書のような低い腰や前傾姿勢で、浮き足立つような軽やかな足遣い。

現代武道では忌まれるが、実際に袋竹刀などで実験してみると、

とくに剣や小太刀が、槍や薙刀などの長大な武具相手に、足元をすくわれず、頭上もうちひしがれずに入っていくには、都合がいいようだ。

すると、近現代の我々がイメージしてきた「正しい基本」そして「形」の機能と本来の役割ついても、とらえ直さなくてはならないことがわかってくる。(続く)