「捨てるということ」剣道教士八段・卜傳流剣術宗家 小山秀弘
「捨てるということ」
剣道教士八段・卜傳流剣術宗家・国画会会員 小山秀弘
剣道は、とらわれのない無心の境地を求めるものだといわれている。
我々は日常の生活の中でも金にとらわれ、名誉や地位にとらわれ自分の小我にとらわれて判断を誤ることが多い。
剣道では判断を誤れば打たれてしまう。武士が命をかけて斬り合いをしていた時代には死につながる問題であった。
とらわれのない心になるためには己を捨てることである。その究極の捨て方は死を覚悟することであろう。塚原卜傳百首の中にも「武士の心のうち死の一つ忘れざりせば不覚あらじな」という一首がある。死ぬ覚悟ができれば何事にもとらわれることなく宇宙と一体になった心境で的確な行動ができるものと思われる。
剣道では打たれても死ぬことはないが、竹刀を真剣に見立てて命のやり取りを模擬的に行っているのである。
大自然と一体になった心境を求めるのは剣道だけではない。例えば弓道や茶道、座禅その他数多くの技芸や芸術などが考えられる。
そのやり方は死を覚悟することによってではなく、己をいわば大自然の摂理の中に溶け込ませることによって己を捨てる心境を求めていると考えられる。
宮本武蔵が殿様の面前で水墨画を描くことを求められたとき、後で述懐して、「あの時はうまく描かなければという思いに強くとらわれてうまく描けなかった。自分の絵は剣の域ほどには未だ達していないのだ」と云ったという。
棟方志功が制作するときの心境を表している面白いことばが残っている。
「自分の版画は私が彫っているのではない。私は仏様の手先になった版木の上を転げ回っているだけだ。そこから自然に生まれてくるのだ」
自分を超えた目に見えない存在と一体になることで己を捨てているのだと思われる。これは仏教でいう他力を信ずるということでもある。
レオナルド・ダ・ヴィンチやレンブラントなど歴史に残る芸術家も又、遠い星を見つめて深い表現をした人達であった。
己を捨てて宇宙と一体になる心境を深めることは何事においても大切なことのように思われるのである。