錦風流尺八について

2017年7月29日(土)弘前市武家屋敷「旧梅田家住宅」にて

弘前藩の上級武士達が伝承してきた

根笹派大音笹流錦風流尺八(ねざさはおおねざさりゅうきんぷうりゅうしゃくはち)について、

同流の青森県技芸保持者 山田史生(やまだふみお)師範による演奏と講演、体験会

があった。

その際に配られたレジメが大変貴重であった。

我々だけではもったいなく、同師範のお許しをいただいたので、広く皆様にもご紹介したい。

 

「錦風流尺八について」

 禅宗の一派である普化宗の僧のことを「虚無僧」という。虚無僧は、尺八を吹きながら「托鉢」をした。托鉢とは、鉢を抱えて町を歩き、家々で食べ物を乞うことである。
 普化宗における尺八は、主として托鉢のさいに吹かれるものであった。だが弘前藩に伝えられた錦風流尺八は、まったく性格が異なる。弘前藩における尺八の伝承の主体は武士(サムライ)であった。当時の身分制度において、武士が托鉢をしないのは当然である。錦風流尺八は、武士の心身鍛錬の具として用いられた極めて精神性の高い流派である。
 弘前に伝承された錦風流尺八は、あくまでも武士の精神修養として吹かれたので、普化尺八のような宗教的なものではない。しかし錦風流尺八が普化宗の尺八に由来するということも事実であり、その根底には「禅」的な瞑想的雰囲気が流れている。
 弘前藩第9代藩主・寧親の命により、小納戸役の吉崎八弥・好道は文化12年(1815)下総の一月寺にゆき、該寺に伝わる普化尺八を学び、文政元年(1818)に帰藩。吉崎以降の津軽における伝承については、系譜を参照されたし(笹森建英『つがる音の泉』)。
 錦風流尺八の歴史等についての詳細は笹森氏の著書等に譲る。ここでは小生がどのように錦風流尺八を捉え、どのように錦風流尺八に親しんでいるか、ということについてのみ論述しておきたい。
 尺八という楽器は、真竹の根元を使って作られる。手孔は前面に4つ、背面に1つある。上部の歌口は、外側に向かって傾斜をつけるようにして切り落とされている。そこに息を吹きつけて音を出す。
 尺八は手孔が5個しか存在しないため、シャープ・フラットの音を出すためには、手孔を半開したり、唇と歌口のエッジとの距離を変化させたりして音程を変化させる。
 尺八はリードのない楽器である。尺八に似た楽器としては、南米のケーナなどがある。尺八は奏者が自らの口の形(アンブシュア)によって吹きこむ空気の束を調整しなければならない。リコーダーは歌口の構造によって初心者でも簡単に音が出せるが、尺八で音を出すには熟練が必要である。尺八は極めてシンプルな、原始的とい言ってもよい楽器であり、したがって楽器のもつポテンシャルは竹の内に秘められている。尺八の出す音が豊かになるか貧しくなるかは、もっぱら奏者の力量にかかっている。
 具体的なテクニックについては省略する。たとえばyou・tubeにupされている小生が錦風流尺八を吹いた動画をご覧いただきたい。ただ最低限のことだけをいっておきたい。
 ピアノやギターのような楽器を弾きこなすには、長年にわたる技術の訓練が必要である。それに比べると尺八という楽器は、それを「ただ吹くだけ」なら、それに必要な技術は非常にあうくない。ピアノを始めて1年でショパンソナタを弾くことは不可能だが、尺八の場合、音さえ出せるようになれば、相当の難曲を吹くことも可能である。尺八という楽器は「技術的なハードルが低い」ということを、まず申し上げておきたい。
 重要なポイントなので、重ねて書いておく。尺八という楽器は、それを吹くために必要とされるテクニックは、他の楽器にくらべれば非常にすくない。70歳になってから尺八を始めても、十分に上達できる。20歳には20歳の、70歳には70歳の、それぞれの尺八の吹き方がある。尺八を始めるのに「もう遅い」ということはない。
 これを別の観点からいえば、尺八に求められるのは身体的なテクニックではなく、精神的なあり方だということである。吹奏者が尺八になにを求め、どういう気持ちで吹くかによって、その音は豊かにもなり、貧しくもなる。
 いささか抽象的な言い方になることをおゆるしいただきたい。奏者は尺八を吹くことによって「自分自身の身体と精神のあり方」を知り、自分が「自分の置かれた世界と一体化する」という経験を味わう。尺八を吹くのは、「他人に聴かせる」ためではなく、「自分を知る」ためである。したがって尺八を吹くことにおいて、技術的あるいは音楽的に「上手い・下手」ということは重要ではない。
 小生が親しんでいる錦風流尺八は、サムライの修行としての音楽であって、特定の宗教とは関係がない。仏教徒であれ、キリスト教徒であれ、イスラム教徒であれ、精神的な安らぎを求める人間ならだれでも楽しむことができる。もっとも、錦風流尺八は、けっして宗教的なものではないけれども、それは普化宗の虚無僧尺八に由来するものであるから、その根底には「禅」的な瞑想的雰囲気が流れている。錦風流尺八を吹くことによって瞑想的な状態にはいり、精神的な安らぎが得られるという効用があることは事実である。
 錦風流尺八を吹くさいに、小生が最も重視しているのは「呼吸」である。一言でいえば、錦風流尺八を吹くことの最大の目的は「深く呼吸することによって心身を安定させる」ことにある。
 すべての生きものは呼吸している。息を吸い、息を吐いている。息は身体と精神とをつなぐ「道」である。呼吸は「身体と精神とを結びつける」ものである。
 現代人は、呼吸が浅くなっている。呼吸とは、元来は「腹の力」を使ってやるものである。腹の力を使って、息を長く、ゆっくりと吸い、長く、ゆっくりと吐く。そのさいの身体のあり方は、腰・腹をしっかりと安定させ、その上に上半身を「力を抜いた状態」で置く。そして、長く、ゆっくりと吸い、長く、ゆっくりと吐く、という自分の呼吸の波に全身をひたすのである。自然な息の流れをジャマせず、ただそれに身をゆだね、呼吸を感じとるのである。
 喉や胸で息をするのではない。大袈裟にいえば「内臓がゆったりと動く」というイメージである。鼻や口ではなく、内臓全体で呼吸するのである。内臓をゆったりとリラックスさせ、腹が自然に動くような呼吸、それが理想である。リラックスとは、身体の余分なところに力を停滞させないことである。身体のすべての力が抜けている「脱力したフォーム」で、必要最低限の力しか使わないような状態である。
 身体をリラックスさせる秘訣は、「捨てることによる安定」にある。これは禅のスタイルである。捨てることによって、自然なエネルギーが満ちてくる。息を吐ききれば、そこに空いたスペースができ、そこが自然と満ちてくる。譬喩的にいえば、「空けておけば、むしろ勝手にはいってくる」という感じである。
 錦風流尺八は、まるで道ばたに1個の石が置かれてあるように、「ただそこに在る」というイメージで吹く。その石はまったく脱力していて、最低限の力で呼吸している。ゆるやかに呼吸することによって、自分が置かれた世界と共鳴している。
 尺八を吹いていると、静かな呼吸の力が、いつしか空間を支配する。たしかに錦風流尺八の曲を吹いているのだが、ひたすら呼吸のあり方を感じているのであって、美しい音楽をやっているわけではない。
 息はセンサーである。自分の身体と精神とがどのような距離関係にあるかを、呼吸は教えてくれる。錦風流尺八は、竹を吹くことによって「呼吸を感じとり、身体と精神とのバランスをとる」ことを目指す。我々のやる錦風流尺八は、これを「健康法」の一種だとおもってもらっても、まったく問題はない。

 錦風流尺八の曲としては十曲が伝えられている。いわゆる「津軽の十調子」である。以下に曲名を記す。

1  調
2  下り葉
3  松風の調・松風
4  三谷清攬
5  獅子
6  流鈴慕
7  通里
8  門附
9  鉢返し
10 虚空

山田史生(やまだ ふみお)
 平成18(2006)年 根笹派大音笹流錦風流尺八 青森「県技芸」保持者指定

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〇定例稽古のお誘い
弘前藩で伝承されてきた卜傳流(ぼくでんりゅう)剣術、當田流(とうだりゅう)棒術、林崎新夢想流居合、本覚克己流和(ほんがくこっきりゅうやわら)などの古流武術を中心に、心身を生き生きと豊かにしていく稽古を楽しみましょう。
参加費等は無料です。ご関心のある方はどなたでも参加できます。初心者も歓迎いたします。
(小学校高学年以上、見学も可)。

2017年7月

・1日(土)13時~15時 於「北辰堂」(青森県弘前市長坂町37)

・8日(土)13時~16時 於武家屋敷「旧笹森家住宅」(弘前市若党町72)※変更あり

・15日(土)稽古なし
・22日(土)13時~15時 青森県弘前中央高校 4F武道場」(弘前市)※変更あり
・29日(土)13時~15時 同上 ※変更あり

※参加料等は無料です。関心のある方はどなたでも参加できます。(事前予約不要)

※いずれも無料駐車場あり

※お借りしている会場なので、会場へのお問合せはご遠慮ください。

その他
 ・動きやすい服装でお願いします。(室内、板の間の道場です。内履き等は不要です)
 ・木刀や帯類などの稽古道具がある方は持参ねがいます。
 ・シゴキ等はありません。各自の興味関心、体力に応じた稽古です。
 ・安全に充分留意した和やかな稽古ですが、もしもの際のケガ等は自己責任でお願いします。
                                 修武堂小山隆秀

伝説では、塚原卜傳と林崎甚助のふたりの剣豪は、互いに交流があったという。

それが本当ならば、彼らが残した剣技も、具体的に共通する術理があったはずだ。

例えば、山形県で林崎夢想流居合を伝承されていた故奥山観禅宗家は、両雄をつなぐ具体的な技法を伝えておられたという。

我が家も17世紀から弘前藩で代々、卜傳流剣術と林崎新夢想流居合の師範をやってきた。

だから、伝書や奉納額でも、両雄の名前を併記し崇敬してきた。

しかし、二人の開祖に共通する具体的な理合など、この私にわかるはずがないと諦めていた。

だが一昨日、居間で素振りを工夫していて、面白い推論がでてきた。

よく「素振りを教えてください」と言われるが、

私は、何度やっても「正しい素振り」を知らない。納得できないでいる。

剣道でも、無数に上下素振りをやったが、

古い剣術の斬りは、現代の我々の予想を越える異質さではないかと思っている。

例えば、家伝の卜傳流剣術は、両肘を前後に異様に張り出すような独特な構えをする。

併伝していた林崎新夢想流居合は、天横一文字、天縦一文字などといって、三尺三寸の刀を頭上で奇妙な旋回をさせながら斬り下す。

なぜこれらの形は、このような動きにくい、異様な所作を要求するのだろうか。

以下は現在の私の推論だ。

おそらく、左右の二本の腕が、それぞれ縦と横へ、全く異なる働きをすることにより、

ひとつの斬りのなかで、上下および水平のベクトルが生まれて連携する。

その結果として、複雑な斜めの斬り(?)が発生するよう設計されているのではないか。

だからこそ、日本刀を両腕で操る技法が多いのか。

よく日本刀の斬りには、左右の腕で打つ力と引く力が合成される、という仮説が有名だ。

それだけではなく、もっと複雑怪奇な三次元に展開していく動きであるような気がする。

上下素振りの場合は、相手に腕をしっかりと掴まれると斬り下せなくなることが多いが、

上下左右が合成されているだろう古流の斬り下しだと、両腕をしっかりと掴まれても、我はラクに斬り下せる現象が発生するようだ。

もちろんその斬りには、体幹部、全身も連動しているのはいうまでもない。

上下左右の刀法に連動して、全身が意外な動きへ導かれ、思わぬ身法が見えてくる。

すると、たったひとりの打太刀を相手に稽古していても、

実はその動きは、周囲の対多人数相手の技法にも展開していける可能性を帯びてくる。

これはやはり自由打ち合い稽古ばかりでは気づけない。

こんな世界があったのかと、先人達が遺した古い形だからこそ、見えてくる未知の光景だ。

以上は暗愚な私の分析だから、おそらく実際の現象の一部しか見えていない。

わからなくてもいい。己ではよくわからない方が、技が効くことがある。

もしかすれば、この形を設計した古人でさえ、理屈より経験知だったのではないか。

この稽古のなかで連想したのが「卍(万字)」である。

万字は、林崎新夢想流と同系の居合はもちろん、諸流でも術理のシンボルとして多用される。

しかし前近代の人々が万字で、具体的に何を差し示したのか、未だ明らかではない。

万字は、塚原卜傳が説いたという理合にも登場する。

私が連想したのは、近世伝書が記す塚原卜傳のエピソードだ。

剣技の工夫において卜傳は、はじめは「縦(竪)」と「横」を合わせた「十文字」の理を工夫したが、それでは足りずに、ついには「万字」をみいだした、という伝承があるのだ。

もしも、縦と横のベクトルが全く異質な現象を生む、という例え話だとすると面白い。

形や技の外形だけではなく、その背後を流れる無形の理合でこそ、先人達と共感できれば、この上ない幸せなのだが…。