家伝剣術

今年も、満開の弘前公園の桜が、実家庭の桜が、風に吹かれて散っていく。 毎年、早く桜が咲かないかなと待ち、 咲けば、そのまま長く咲いていればいいと願い、 散り始めれば、それが止まってほしいと願う己。 この時期、多くのカメラマンがやってくるが、も…

4月はいろんな行事が多かった。 まずは中学へ進学した息子が、剣道部に入った。 わたしのときと全く違うのは「親に強制されて」ではなく、自ら進んで入部したこと、稽古が「楽しい」ということだ。 この姿勢の違いは重要だ。その後の展開が全く違ってくるだ…

3年ぶりに学芸員に復帰した。心機一転、新しいチカラが満ちてくる。 すると、ときを同じくして周囲の方々にもいろんな変化が訪れていることに気づいた。天地、世界が動いているのかな。 ここ一か月、仕事が忙しくてなかなか稽古できなかったが、心身の変容は…

またひとり、当会の中核的存在だったF女史が、津軽を離れることになった。 合気道に優れ、身体の反応が速く、袋竹刀を交えたときには、剣道家とは異なる精妙な手を遣われ、私は大変勉強となった。 仙台に行かれても、我々との武縁は続くはず。新しい天地での…

わたしの剣術は、人を倒すためではないなあ。 剣と己の身体に聴きながら、剣を振ることで、己が清まっていく感じがある。 人が生きるためのシステムが、人より大きくなりすぎて、逆にそれに拘束されてしまって居着き、 しだいに錆びついていく、生物としての…

春は出会いと別れの季節だ。 当会の森井俊和氏は、剣道有段者で直心影流剣術も修め、中国拳法も学ばれている猛者だ。いろんな稽古と活動をご一緒してきたが、このたび九州へご栄転となられた。 大変寂しくなるが、武を稽古している限り、我々との武縁はこれ…

本屋で「月刊秘伝2015年3月号」を立ち読み。 表紙を一枚めくって驚いた。高名な韓氏意拳宗家 韓競辰老師の写真の下に、白い道着で剣を持ち、下手くそな上段をとっている私がいた。 あまりに対照的な姿でお恥ずかしいかぎりだ。 韓老師にはなんどかご指導いた…

「伝統」とは、後世を生きている我々を守り、導く守護天使のような有り難い存在である。 わたしもそこで活かしてもらっている。 しかしややもすれば、己自身で考えることなく、与えられるまま、排他的な「正統性」に依存したがる怠惰な強情をも招く。 それは…

地方はいいところも多いが、やはり狭いところもある。 同調圧力が強い地域で違うことをはじめること、継続していくことは大変なことだ。 多様な価値観が共存している東京にはない、名物「津軽の足引っ張り」もそこかしこからやってきて、己自身の不徳さを知…

一体あれは、これはどうなるのかと、焦り、不安になるのは、 目の前の現象を、何か既存のカタチや計画へと、無理やりなぞらえて安心を獲得しようとあがくからだ。 だが実は、いまこの瞬間、私向き合わされている現前の現象に先例などないのだろう。 これは初…

林崎新夢想流居合の天横一文字から天縦一文字へ、構えが変化するなかで発生する攻防一致の太刀筋。 それが、なにも新しい発見でもなんでもなく、家伝剣術、そして新陰流や鹿島神流など諸流でも当たり前に遣ってきた技法であったことに気づき、まるで新しく発…

本日は久しぶりにみんなで林崎新夢想流居合の稽古。今日は「外物」 その前に、この居合すべての技を通底する所作について。 まずは扶据(ふきょ)という独特の立ち膝。 この座方の精度、整った心身を養うための優れた稽古方法がある。 扶据からの抜刀で、床…

何度も言うが、現代日本において刀剣は、とっくの昔に武器としての実用性を失っている。 武術専門誌でさえ、刀剣のことを「古式ゆかしい武器」と表現するほどだ。 だが道具としての刀剣は、歴史のなかで多様な特性を帯びていたので、 時代も社会も全く変わっ…

「夫れ兵法の要は、心行一致を要とするものなり。近世の剣術、木刀、シナイの軽きをもって、速疾の作りをなし、己に難無くして人に勝たんと欲す。(中略)是は剣術の実にあらず。世人かくの如く奇変を見て、多くはこれを好みとす。これ愚の至りなり。(中略…

何年ぶりにランニングシューズを買ってしまった。でもいいのかな。 己の稽古内容が拙くなってくると、ついつい体力稽古をやりたくなる。 地稽古や乱取り、素振り、筋トレ…。毎夜、弘前公園の闇を走る。 20代、30代の頃ならばそれでよかった。確かに得る…

ここ数日、膝が規矩になるということを感じて、工夫している。 座った林崎新夢想流居合では右膝が、立った家伝剣術では両膝が、それぞれ稽古のなかで所作のメルクマールとして指摘されることが多い。 伝書でも、亡き祖父との稽古でも、いまの父での稽古でも…

袋竹刀で、組太刀と自由稽古の中間のような稽古をする。 つまり一応は形を遣うのだが、使太刀が不充分ならば、打太刀は遠慮なく打ち込んでしまう。 (特に手指が怪我するので、簡単な手袋や小手ぐらいは着けた方がいいだろう。) 一方、使太刀も、いろいろ変…

やはり袋竹刀で打ち合う稽古からは、多くの気づきがある。 いつも演武している家伝剣術の形。実際に遣えるのかどうかと時々、袋竹刀で思い切り打ち込んでもらって検証稽古する。そのことにおいて外崎源人開発の「源悟刀」は大変優れている。 いろいろなお相…

外崎源人氏開発の袋竹刀「源悟刀」をさらに改良していただいた。 それを使って剣と剣、剣と小太刀、剣と試合用薙刀などの地稽古の研究をした。 やはり形稽古だけではなく、いろんな得物で打ち合う稽古をすれば、意外な発見があるものだ。 でも、いかに打ち合…

先週は、第5回鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会(主催 日本武道館・日本古武道協会)父と二人、家伝剣術で出場した。 約20年前にはこの地で、亡き祖父と父、我の三代で演武した。 さらにその20年前、私が生まれる前には、祖父と父が演武に来ている。 開…

定例稽古。 H先輩に小野派一刀流剣術「詰座抜刀」を習う。 わが北辰堂(青森県弘前市)の代々の剣道師範が伝承したきたものだ。 林崎新夢想流居合と技名も技法も類似しており、それを新たな視点から学べる。 そして外崎源人氏が考案された袋竹刀「源悟刀」の…

青森ワラッセでの武術とネブタのイベントが無事、終了した。 新しい試みで準備時間も足りず、リハーサルもやっておらず、一時はどうしようかと思ったが、 企画の中心となった無刀氏、K氏、外崎源人氏らの活躍によって、大変意義深い講座となり、予想を超えた…

実家で父母の庭仕事の手伝い。 数年前、甲野善紀先生がおいでになられたとき「植物園のようですね」とお褒めいただいた。 本当によくまあ、桜、梅、柿、栗、無花果、椿などの小高い木々が、あちこち枝を茂らせており、その下にまた低い低木や草木が生い茂る…

実家庭の稽古場。 T氏にお相手をお願いし、数か月ぶりに甲冑を着て、刃引き刀で、家伝剣術組太刀および林崎新夢想流居合立抜刀の組太刀稽古。 10月4日の青森市ワラッセ公開講座で演武するためだ。 今回は兜のみ外して鉄鉢か烏帽子を被った、より機動性の高い…

論語「子、四を絶つ。意なるなかれ。必なるなかれ。固なるなかれ。我なるなかれ。」 荘子「豈に唯だ形骸にのみ聾盲有らんや。夫れ知も亦た之有り。」 (いずれも、山田史生『中国古典「名言200」』三笠書房、2011より) 私の剣の稽古、いやそのまま、日々の…

実家の庭には、二十四畳の稽古場があり、24時間いつでも稽古できる。 父や息子たちなど家族の稽古、お仲間との稽古…。 建ててくれた亡き祖父母に感謝。 特に、まわりの安全等を全く気にすることなく、真剣を思い切り振り回して、ひとり稽古ができることに感…

先日、鳥井野獅子踊の祭礼にお邪魔した。 同じ前近代の身体技法でも、獅子踊は、近現代武道のように、近代競技スポーツ論理で整理されたり改変されたことは少ないから、古い要素が残っているのではないか。 その教え方のなかで「腕を差し伸べれば自然と脚も…

たとえ己とは異なる者でも、自他共に尊厳を払うのが侍だ。武だ。 「あいつじゃ私の稽古にならない」と相手を選ぶこと。 「いろんな人に教わったが、誰もたいしたことがなかったよ」と自慢すること。 「俺が教えてやっているのだ」と、ひたすら威張りいじめ抜…

素面素小手、袋竹刀で家伝剣術の組太刀。 それは一般のように「何歩で歩いたら何度の角度で打て」という外形重視の体操のような形では使えないから、内側重視、あとはどんな現象が発生するかは神のみぞ知る。 上段から歩み寄り、互いに斬りこむだけのシンプ…

本州最北端、大間町奥戸の神社祭礼へ。 民俗調査へ行き、三日間、朝から夜遅くまで山車運行を記録撮影。 左手にビデオカメラ、右手に一眼レフといった二刀流のまま、運行を徒歩で追跡。 夜10時過ぎ、行列から離れて海辺を歩いていると建造中の大間原発が見…