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主催で、同大学居合道部、青森大学忍者部との合同演武会が無事終了した。
あいにく私は仕事で参加できなかったが、同研究会顧問のひとりとして、ホッと安心した。
ご協力いただきました皆様に深く感謝申し上げます。
翌日は、弘前大学人文社会科学部で、「民俗学A」として、近代における日本人の歩行の変化と剣術から剣道の技法変化について、拙い講義をやらせてもらった。
その準備のとき、久しぶりに先祖達が遺した大正2年の卜傳流剣術および林崎新夢想流居合の門人帳を開いた。
今まで気づけなかった当時の様子が想像できるようになった。
まずは一門の筆頭として、我が一族小山清蔵と先祖小山百蔵、そして高弟小田桐友平の三翁が、卜傳流剣術は印可伝授相伝、林崎新夢想流居合は非返伝授相伝まで受けた三名として記されている。
そして、卜傳流剣術の目録までとった門人として、幕末の弘前藩家老で、明治期の実業家となった大道寺繁禎、「東奥の西郷隆盛」といわれ福沢諭吉とも交流し、初代弘前市長となった菊池九郎等がみえる。
いずれも幕末維新期に生まれ、明治維新や戊辰戦争の激動期を生き、明治の世を造った、元弘前藩のサムライ達である。
当時小学生だった私の祖父小山秀雄は、彼らの薫陶を受け、稽古させられた。
(特に剣術については、祖父百蔵だけではなく、小田桐友平の子で、当時まだ三十代の若さだった小田桐友太郎から再教育も受けた。)
一方、その孫である私の場合、剣道が小学生の間でブームとなった昭和50年代に稽古を始めたというから、平々凡々、あまりに格が違いすぎるではないか。
それでも門人帳を見るたび、この世界を継ぐのは自分しかいない。やるぞ、と、トボトボ歩いてきた。
まさかこのように、同じ道を歩もうとする若い方々が増えてきてくれるとは夢にも思わなかった。大変嬉しく、心強い。
嬉しいと、魂も踊るのか、稽古でも気づきが増える。
家伝剣術小太刀の奇妙な歩法は、人間の歩行に対する私の固定観念を見つめなおすとともに、対多人数の理合につながる気配がしてきたのだ。
いつも見慣れたはずの所作から、全く意外な風景が出現してくるとは面白いものだ。