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古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

12月13日、修武堂有志で「東京武者(無茶)修行」へ。

井のなかの蛙も、ときどき大海を知らなくては。

現代武道師範のなかには「この道一筋」を美徳として、他流との交流を禁じ、他の段位を取得すれば破門にする場合もある。

亡き私の祖父も、いわれなき中傷を受けたことがあると聞く。いま思えば愚かしいことだなあ。

なぜならば、現代武道の先達、往時の武士たちは、複数の流儀の免許を取得するのは当り前だった。近世後期から幕末には、他流との交流が盛んだった。

それを「ひとつしかだめだ」と限定したのは、近代の新しい「伝統」観念ではないか。

すわなち、もともと武とは、同じルール同士の「競技」ではなく、「生きるための智恵と技法」なのだ。

同じ流儀内ばかりでは共同幻想に陥ってしまう場合もあろうから、全く未知の異なる体系にももまれ、広い世界を知ってさらなる研鑽を積まなくては、現実世界で生きのびてはいけなかったろう。

思想や哲学も同じことではないか。

初日は甲野善紀師範の「松聲館」にお邪魔し、剣術、居合、体術など様々に御指導をいただいた。

特に林崎新夢想流居合で、ふだん疑問に思っていた所作について、私の推論をお聞きいただきながら、貴重なアドバイスをいただいた。

この居合のように、窮屈な姿勢で座ったうえに、至近距離から攻撃されるなか、いかに自在さを得られるかという稽古こそ、全身のつながりと協調、テンセグリティーを養成するうえで非常に効果的ではないかというお話にもなった。

二日目は、朝から稽古着に地下足袋を履き、青空が広がる多摩川河川敷の草むらへ。

高名な、とみ新蔵師範から野外稽古をいただいた。

同師範は時代劇の人気漫画家で、空手や居合、古流剣術等を修められている。

現在の古流剣術の多くが、自流の歴史や伝統に閉じこもるあまりに、実力を衰退させてしまったと嘆かれ、「他流との交流稽古大歓迎」を標榜する実戦派であられる。

我ら修武堂は、他流同士が交流し、ときに批判的な検証もしながら研究稽古していることをお伝えすると「それはいい」と喜ばれた。

草むらで、剣術、居合、槍術、体術、短刀取りなど、我々の拙い技を何度も何度も、その胸をお借りして受けてご指導いただき、大変恐縮した。

夢中のあまり、いまの稽古模様が、武術全国誌の撮影取材を受けていることを忘れた。

また、他流交流で面白いのが、それぞれ独特の稽古用具(袋竹刀や防具等)および稽古方法を開発されている様子を実見できることだ。

これは全国統一式の競技にはない面白さで、幕末の撃剣修行で廻国修行した武士たちも、各流の差異から新しい発見をしていたはずだ。

午後は、多摩市の一之宮小野神社へ。

2、30名の様々な御流儀、各ジャンルの技芸の方々にお集まりいただき、各種技芸の向上祈願、奉納演舞・演武が行われた。

中心となっていただいた「古武道学舎 清風会」主宰高無宝良師範(http://mobile.twitter.com/safe_kai)によると、開催告知してから参加希望者がどんどん増え、会場の大きさの都合で人数制限を行わざるをえなかったほどの人気だったという。

普通は見知らぬ他流同士が即席で集まれば、殺伐とした険悪なムードが発生してもおかしくない。

だが今回の集まりは全く違う。和やかながらも、各流の師範方が互いにリスペクトしながら真摯に技術交流される、素晴らしい場となった。

人気の高さと、優れた人々が集まる上質な場が成立できたのは、まとめ役であられた高無師範と武道文化研究所(http://bubunken.jimdo.com/)主宰川村景信師範、お二人のネットワークの広さと人徳ゆえだ。

(それにしてもお二人には準備等のお手数をおかけしてしまった。)

さて神前では、神主様による厳かな祭祀のあと、次々と諸流による優れた演武が続き、大変勉強となる。

なお私の演武だが、技の拙さはともかく「声の響きがいい、一般の演武のような嫌な感じが全くしない」と神主様方からお褒めいただいた。「音楽」の時間が苦手だった私にとって意外だった。

確かに演武中、我が声ながら、いつもと全く違う他人のような響きに驚き、聖なる場が持つ不思議なチカラではないかと思っていた瞬間があった。

修武堂の仲間、外崎源人氏、M氏、K氏も、ふだん見たことがない変化技まで繰り出されて、その精妙さに唸ったものだ。

また川村師範から、林﨑新夢想流居合の最高極意が、360度全方向へ抜刀可能となる「卍抜き」ではなく、「心鏡明鑑無礙」といい、殺し合いの螺旋を乗り越える境地を目指していたことを教えていただき、目からウロコが落ちた。

つまり以前の私は、命のやりとりである剣術指南役を代々やってきたうえに、刀が必要なくなった現代でも、まだそれを伝承している我が一族はなんと業が深いのか、と悩んでいたところがあった。

しかし、父祖達がやってきた家伝剣術や林崎新夢想流居合の稽古を深めることこそ、実は真逆の救いにつながっているのかもしれない、という希望をいただいた。

久しぶりに再会できた生田紘之師範とのお話では、林崎居合の初発刀が袈裟であろうこと、そしてその独特の座り稽古が、冬の降雪で外出できないとき、狭い室内でもひとり練ることができるよう編まれているのではないか、という私の推測が、決して独りよがりではないことを裏付けていただいた。

また同師範が「現在は、古流武術のルネサンス時代ではないか」と言われたことに胸を打たれた。

そして、諸流や我が家伝剣術を取り入れて、さらなる進化を遂げた某有名御流儀の方とお話できた。

その剣の教えと、我が剣術形の稽古眼目が共通していることを教えていただき感銘を覚えた。

奉納演武後、近くの文化センターでの交流会では、まず明順御坊による祭祀のもと、甲野師範も交えて参加者全員で、修武堂メンバー故加川康之氏の慰霊式を行った。加川氏のご子息も駆けつけてくれた。

高名な天心流兵法の鍬海先生、滝沢先生にもお会いでき、林崎新夢想流居合「向身」の技法もご紹介させていただいた。

また、西洋剣術を修められている方にも声をかけていただき、少年時代から憧れていたロングソードの刀法、構えのポイントを教わった。

そのなかにふと家伝剣術の口伝と重なる部分があり驚いた。

帰り道そのお話と、松聲館稽古での甲野先生との会話、北辰堂伝承の小舘俊雄伝小野派一刀流詰座抜刀の口伝、そして家伝剣術の術理を共通して流れているものに気づいた。

たとえ発祥した国や文化は違っても、同じ人体構造なのだから、自ずと導かれていく共通性があっても不思議ではない。

ずっと謎の所作だった、林崎新夢想流居合の天横一文字から天縦一文字へ変化する刀法が、何を教えようとしているのか、少し見えてきた気がした。

さっそく息子に相手をしてもらったが、いままでの遣い方の質を根本から見直す、大きな展開がありそうだ。

今回、各御流儀各ジャンルの諸兄にお集まりいただいた御縁ときっかけは、亡き「無刀氏」加川康之氏が育んでくれていた。

それを高無師範と川村師範が中心となって実現していただき、参加者の方々によって、さらに素晴らしい化学反応が起こった。

諸兄のなにげない会話のなかに多くの示唆が満ちており、私は多いにインスパイアされた。

改めて皆様の御高恩に感謝している。まさに現代は、若い方々によって古流剣術は、ルネサンス期に入っているのだ。この貴重な御縁をさらに展開していきたい。

帰りの新幹線の時間のため、懇親会に出席できなかったことだけが悔やまれるなあ。

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