読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

林崎新夢想流居合

林崎新夢想流居合の稽古。

私の居合は、全国的な居合を経ていないので、その経験者から見れば、常識はずれで、かなり異形らしい。

古来から諸流では「他流批判は厳禁」とされてきたものだが、仕方がない。好悪はそれぞれにお任せし、まずは己自身が納得できるよう自らの稽古を突き詰めたい。

さて同流「右身」は、四つの形で構成されている。

前回までの「向身」は無声のまま攻防したが、右身からは「声の抜」といって、打太刀は「ヤー」、仕太刀は「エー」「トー」と発生するようになる。

かつ「向身」は、相手と正面で向き合った位置だった。

だが、「右身」はすべて、三尺三寸刀を帯びた仕太刀が自らの右半身を、九寸五分の短刀を帯びて正座する打太刀の左半身に、接触させるように座ったところから始まる。

第三者から見れば、二人は同じ方向を見て、くっついて仲良く並んで座っている不思議な光景に見える。

なぜこのようなことをするのか。

おそらく、どのような角度からの敵襲にも応じられるようにするためだ。

それは稽古のなかで見つけていこう。「右身」一本目の「突入」。

仕太刀が左側に扶据、打太刀が右側へ正座し、同じ方向を向いて六尺離れて横並びに座っている。

おもむろに仕太刀は立ち上がり、打太刀の方を向いて歩み寄る。

そして右半身を打太刀の左半身に接するように扶据する。ここまでは「右身」四本の形共通の所作だ。

右横の打太刀が「ヤー」と発生しながら、短刀を抜こうとする。

その機をとらえた仕太刀は、「エー」と発生しながら、右側へ向きながら三尺三寸を抜刀。

この発剣は「向身」で稽古してきた技法が活きる。ただ発剣の方向を全身で右側へ変化させるだけだ。

このとき、故寺山龍夫や諸師範は、「相手の左首」または「相手の頭上を越えて抜き付ける」と教えた。

一方で違う口伝もある。

例えば、幕末から大正期にかけて活躍した同流師範で、旧弘前藩士だった私の高祖父、小山英一は、仕太刀は自らの刀の鍔元を、打太刀の顔面へ打ちつけよと教えていた。

同じ技でも、師範ごとに少しずつ差異があったのだろう。

どれが正しいかはわからない。ある事象をいろんな角度からとらえている教えであり、どれも正しい。ともかく、これらの所作に共通するのは技名「突入」の感覚ではないか。

私としては、子孫として、高祖父英一の教えをいただいて工夫している。

すると規矩である右膝と、右横の相手の顔面上が、何か関連性がみえてきて、その動きのなかから技名「突入」の意味が見えてきそうな予感がしてワクワクしている。

この後の展開については改めて報告したい。

さて斬りつけた後、仕太刀は三尺三寸を片手上段にとる。

このときの位取りが、打太刀の左後方になる。

打太刀はすぐ左脇に見える仕太刀の左膝を突いていく。

よって仕太刀は右膝をつきながら、打太刀の右前腕へと諸手で斬り下ろす。その後、天横一文字から天縦一文字へ構える。

打太刀はさらに仕太刀の右膝を突いてくる。

だが仕太刀は、さらに背後の死角と回り込みながら「トー」と打太刀の後首を斬る。血振り、納刀。

このように「右身」「左身」の形群は、互いに接触するような近間でいながらも、近代武道が好むような直線上の真っ向勝負による相討ちではなく、仕太刀が打太刀の死角へと入り込んで応じる所作が多い。

これはひとり稽古だけではなく、やはり相手をつけて稽古した方がよくわかるもので、よくよく考えられたその精妙さに、故加川康之氏と稽古しながら二人で何度も膝を叩いて感心したものである。

広告を非表示にする