林崎新夢想流居合「右身」二本目「抜詰」

三尺三寸刀を帯びた仕太刀は、九寸五分の短刀を帯びて右方に正座している打太刀に歩み寄り、我が右半身を相手の左半身に接するかのように扶据する。

閑話休題。この居合の座法であるが、私が教えを乞うたI師範の技法では、仕太刀は扶据だけではなく、立ち膝のような座法も使われていた。

また先祖の絵伝書をみると、打太刀は正座ばかりではなく、その姿勢で両つま先を立てた跪座のような座り方もあったのではないか。そのことは同じ津軽の古流柔術が伝承していた秘伝の座法からも推測できよう。

実際にやってみると打太刀だけではなく、仕太刀ともになにか違った感覚が出てくるものだ。

さて本題に戻る。

互いに身を接して座っていると、仕太刀は、いきなり左手で仕太刀の三尺三寸刀の柄を抑えながら、短刀を抜いて彼の右前腕を、右から左へ「ヤー」と突きあげてくる。

これに対して仕太刀は、打太刀に柄を掴ませておきながら、左後方へ少し立ち上がって、我が右腕を自らの左肩方向へ伸ばして突きを避けた後、すぐさまその右手で打太刀の左腕をとらえ、「トー」と右前へ全身ごとねじ伏せる。

このときの仕太刀の刀と右手の連動による技の効力については、文章化は難しく、やはり実地で説明するのが一番いい。

この小具足のような体術については、柔道有段者で太極拳や古流柔術も研鑽されていた故加川康之氏と、夜の北辰堂や庭の稽古場で、互いに何度も何度も工夫したものだ。

例えば、剣道昇段試験科目である日本剣道形の小太刀では、仕太刀が刀と手で、相手の腕関節を極める、似たような所作が出てくる。

しかし現代剣道では、このような体術についてはすべて割愛し、反則技としているので、高段者といえども実地経験がない。

よって、全く形骸化したカタチだけをなぞっている場合も多く、本当に技が極まってはいない方も少なくない。

それでも仲間同志だからか審査合格となる。

しかし、加川氏のように、真面目に体術を稽古されている方々からみれば、あれだけ普段の竹刀稽古で厳しく追及されている剣道人が、形や小太刀になったとたん、急に等閑視してしまう姿勢について、本当にやる気があるのかどうか不思議でしょうがないのだ。

よって、我々ふたりは、「伝統だから」とカタチをなぞって思考停止するのではなく、実際の技として通用するのか、仕太刀の極めが甘ければ打太刀は逃げていいとし、あえて厳しく批判し合うような稽古をしていた。

そのことが私にとって大変貴重な勉強となった。

すると、なぜ仕太刀は掴まれている己の刀の柄を左へ前を廻すのか等、不可思議だった各所作が、体感を通して納得できるものとなり、それらが全体の動きへと反映され、更新されていく喜びがあった。

やはり武は、もともとコート内の専門競技ではなく、現実世界を生きのびるための智慧と技法なのだから、多彩な視点から探究することが必要不可欠なのだ。

だから「唯一の正解」などない。それぞれが己の納得する世界を求めるしかない。