かつて東北諸藩には「林崎新夢想流居合」という居合が伝承されていた。
我が弘前藩でも複数の伝承があった。
それは、當田流、一刀流、卜傳流など、藩内の各流儀が併伝する居合だった。
例えば、當田流伝書では「當田流居合」とも記している。
また我が家も、祖父が幼い頃まで、家伝剣術とともに同居合の師範家をやっていた。
近世には弘前八幡宮裏の林が、近代には北辰堂でこの居合を稽古していたという記録があり、その父祖達が発行した同流伝書や奉納額が、津軽のあちこちに散在している。
我が家もそうだが、同じ「林崎新夢想流居合」であろうとも、各師範ごとに伝承の差異や個性があったに違いない。
競技ならば共通ルールが必要だが、現実に使う技法となれば、答えはひとつではない。
しかし近代以降、津軽にも全国武道が普及するとともに、旧弘前藩「林崎新夢想流居合」の各師範家は失われてしまった。
よって現代の我々は、近世の父祖たちが残した文書史料、近代の當田流寺山龍夫師範らが残した記録やその弟子の方など、散在している手がかりをもとに、拙い研究稽古を始めた。
だから我々、修武堂は、「林崎新夢想流居合の宗家」ではなく、あくまで、失われた技を探究している有志の集まりである。
よってこの居合は、往時の先師たちにリスペクトしながらも、誰かの専有物ではなく、有志達の手で、みんなの歴史的な共有財産として蘇っていくことになろう。
そこには、かつて諸流に併伝されていたころのように、それぞれの目的と、それぞれの林崎新夢想流居合の姿があっていいだろう。
わたし個人の場合は、先祖達への思慕とともに「かつてこの居合が、家伝剣術と併伝されていたならば、互いの術理は親和性が高いはずだ」という仮説をもとに取り組んでいる。
それを通じて、私の家伝剣術が、少しでもレベルアップすればいいと願っている。

そして、今回の東京稽古会(林崎新夢想流居合研究稽古会)にも、流派の違いを越えた共通テーマがある。
すなわち、今回ご紹介する弘前藩の林崎新夢想流居合は「正しい唯一の正解」ではなく、
古い武術の形が示す不可思議な所作を、単なるカタチだけではなく、活きた技として体得するためには、いかに読み解いて稽古していけばいいのか、
という、古武術・古武道各流派を越えた共通テーマについて、
みなさんでともに模索するための話題提供、一例としてご紹介したい。
我々も答えは知らない。
新しいご縁のなかから、新しい気づきと視座をいただこうと期待している。