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特別展「刀剣魂」が盛況のうちに無事終了した。
皆様からいただきました多大なるご支援に深く感謝申し上げます。
各方面からお借りしてきた数十振りの貴重な刀剣類。
一期一会、これらすべてにお会いできることはもうないかもしれない。
一振りずつ伏し拝んでから、二週間かけて返却してまわった。
さて、来る10月8日(土)、山形県村山市武道館にて「全国古流武術フォーラム2016-林崎甚助の居合を探るII-」(日本武道文化研究所 主催)
(http://hayashizakishinmusoryu.jimdo.com/event/event3/)が開催される。
今回のフォーラムでは、私も、弘前藩の林崎新夢想流居合講座を担当させていただく。
近代以降、日本列島各地から失われていった林崎流の居合だが、いま、全国各地の有志達によって、少しずつ復活しようとしている。
まるで予想もしなかった現象に驚いている。
我が家は、先祖代々、同地にご縁がある。
例えば、同会員田中大輔氏の御高論「林崎居合神社参詣諸藩士の祈願」(『山形大学歴史・地理・人類学論集 第17号』同研究会、2016年)によると、安永4年(1775)5月23日、私の先祖、弘前藩士小山次郎太夫が、山形の林崎居合神社へ参詣した記録があるという。
よく遠方の津軽から行ったものだ。彼は家伝剣術および林崎新夢想流居合師範だったので、同居合の開祖林崎甚助が祀られている同社には、特別の思いがあったろう。
その地で同流を披露するのは、先祖 次郎太夫以来、241年ぶりだ。子孫のあまりの劣化ぶりで先祖が驚かないようにしたいものだ。
さて、現在の林崎新夢想流居合の稽古課題。
この流儀は、古いから価値があるのではない。
近代化のなか、私たちが忘れている古の身体、古の武の理合がぎっしり詰まっている。
だから、現代人である我々がこの古い形に向き合ったときに抱く違和感は自然であり、むしろその違和感が、稽古の道しるべとなるはずだ。
この稽古で、形の手順や外形、テクニック論ばかりに没頭してはならない。
それらに終わりないが、えてしてそれらは、瞬間のある一面を切り取ったにすぎず、「千変万応に、当たりては卒然としてその宜しきに随い、妙術と心身に得べきの本意となし…」(本覚克己流和)という、戦いだけではなく、日常を生きることそのものにも直結した武技とはなりえない。
すなわち、武が向き合わなくてはならない千変万化の前には無力であることが多い。
そのためにまずは「武具と我が心身が一体化すること」か。
幼い頃から、実家床の間の扁額「心剣一致」を仰ぎ見て、「心正しからずば剣また正しからず」といった、いつもの抽象的な精神論かと信じていなかった。
しかしいまは違うように読めてきている。
「心」を「身」とも読み替えれば、己の技のあまりの至らなさに恥ずかしくなる。
それを目指すためのヒントはある。おそらく先人達は、このような心身と剣が一致した状態について、「手に水を入れた器を持って捧げ歩くように」とも表現している。
それは、まさしく、我が家伝剣術の一本目の稽古そのものでもある。
そうすると、なぜか、相手の激しい猛攻をすり抜けていく心身、位が発生することがある。
あまりに長大で、振り回すには重すぎる林崎新夢想流居合の三尺三寸の大刀が、不思議と軽やかに動き出し、我が身体まで軽やかにしてくれる。
しかし、いくら一体化しようといっても、無生物である武具の方から一体化してはこないので、最初は、我々人間側から武具へお聞きしていくしかない。
するとそのうち、なんだか武具の方からも歩み寄ってきてくれるときがでてくる。
やがて相互に影響し合い、どちらが主なのか客なのかわからなくなり、決して武具だけでは、人間だけではできないことができるようになっていく。
こうなったときの稽古は本当に面白い。
いつもの居着いて決まりきった動きしかできない我が心身が一変する。
予想外のなめらかな動きが次々と連続して発生し、あたかも別の乗り物に乗っているかのような愉快さだ。
おそらく舞踊の専門家やシャーマンにはこのような愉悦があるのではないか。
(その分、終わった後の疲労も大きいこともあるが)
道具と心身がいかに一致するかということは、剣道でも同じかもしれない。
先日、久しぶりに中学生の試合大会を応援にいった。
事前の準備運動や素振りの巧拙を見るよりも、ふと、試合コートに入る前の所作、防具を着て歩いている様子だけで、その勝敗の行方がある程度が予想できそうな気がした。
すなわち、なにげない所作のなか、防具と身体、竹刀がどれほど一体化しているかということを、我々は無意識のうちに見ているのではないか。
しかし、我が身を顧みれば、まだまだバラバラでお恥ずかしい限りだ。
いかに一致させるかという稽古は、まずは独り稽古や形稽古で始めるしかない。
だが、欲深い私にとって至難の行為でもある。
目の前に相手をつけただけで、負けん気が勝って、武具の都合を無視して、我力で振り回してしまおうとしてしまうからだ。
そのことが、家伝剣術一本目と、二本目の間に、巨大な断層として横たわっており、同じ流儀の稽古をしているのに全く異質な自分であった。なかなか乗り越えられずに悩んできたが。さきほど気づいた。
もしかしたら、わたしは、剣を主にしすぎており、己自身のことをないがしろにしていたのからではないか。
まだ微妙な感覚だ。このことは、10月8日(土)、山形県村山市武道館の「全国古流武術フォーラム2016-林崎甚助の居合を探るII-」で、皆様にもご提案し、ご一緒に工夫してみたい。