そのほか

試合で勝ちたい、憎いライバルを凌駕したい、などとという情熱は、確かに稽古を進ませる。 だが稽古とは、いつも相手をしてくれる人がいるとは限らない。 また、己が何のために稽古しているか、という目的のベースが、憎いライバルの存在そのものに依存して…

伝統の世界では、記念誌などを作ると、恩師の思い出と素晴らしさを語り、その教えを全く疑わず、絶対にその矩(のり)を越えず、ひたすら己の不徳さを述べるような文章を書かれる方が多い。 それはそれで美しいひとつの生き方である。 だがどうやら私は違っ…

先日、「こうきたら、こう返せ」とやっている指導風景を見て、競技としての武と、そうではない武の本質的な違いを改めて教えられた。 「こうきたら」という入力も「こう返せ」という出力も、ともに一定のルール、枠組みのなかで成立している行為であり、いく…

当会の中心的な存在K氏が、札幌へ御栄転となった。 ふだんのK氏は、某国営放送に勤務する、温厚で紳士的なアナウンサーだ。毎日のようにテレビでニュースを読まれている。 しかし実は彼は、幼い頃から空手を修業され、フルコンタクト各流派、キックボクシ…

K先輩のお導きで、インディペンデント・ダンスアーティスト加藤範子氏(http://www.norikokato.com/)とお会いした。国内のみならず海外でも活躍されている高名な方だ。 よく、ダンサーの身体能力は凄いといわれる。 古武術でも、屈強な男性よりも、舞を習…

剣を構える。 相手の様子から戦略を練り、対象物との接触点をイメージして間合いを詰めていく。 しかし相手には意志がある。 こちらの存在を感知し、こちらが関与することで、すぐさま変化する。 するとそれを感じた我も変化してしまう。 変化の連鎖と応酬へ…

青年時代に「強さ」を求めて互いに切磋琢磨、稽古することは必要な修行過程だ。 この拙い私でさえ、そう希求していた。 だが、その「強さ」の内容が、いつまでも他人との比較にこだわり続け、老年まで全く変わらなかった場合どうだろう。 居着いたその、己の…

昨日は、わが実家の庭で、毎年恒例の抜刀(試し斬り)稽古およびバーベキュー大会であった。 修武堂メンバーだけではなく、弘前大学古武術研究会や居合道の学生諸君など総勢約20数名が集まり、賑やかだった。 畳表を巻いたものや、なかに真竹を仕込んだ巻き…

17世紀の佚斎樗山が著した有名な武道書「天狗芸術論」を再読。 その内容には、具体的な技の説明がなく、精神面だけを扱っているのだ、とよく言われる。はたしてそれだけだろうか。 10代の頃の私も、難解な観念論のみで参考にならない本だと決めつけてい…

今年も、満開の弘前公園の桜が、実家庭の桜が、風に吹かれて散っていく。 毎年、早く桜が咲かないかなと待ち、 咲けば、そのまま長く咲いていればいいと願い、 散り始めれば、それが止まってほしいと願う己。 この時期、多くのカメラマンがやってくるが、も…

4月はいろんな行事が多かった。 まずは中学へ進学した息子が、剣道部に入った。 わたしのときと全く違うのは「親に強制されて」ではなく、自ら進んで入部したこと、稽古が「楽しい」ということだ。 この姿勢の違いは重要だ。その後の展開が全く違ってくるだ…

「重くて不自由な甲冑を着たら、動けなくなるし、走れなくなる。」「その重さゆえ、低い腰になるのだ。」という言説があるが、はたしてそうだろうか。 もしかすればそのような言説は、全く実体験がないか、体験があっても甲冑と自分の身体がバラバラであるゆ…

東日本大震災の2011年3月11日から4年がたった日、 私はたまたま資料調査で、閉館となった某博物館内の暗闇を歩いていた。 あの日も雪だった。岩手県遠野で被災し、避難所をはしごしながら、歩いて帰ってきたのが昨日のことのようだ。永遠に忘れることはない…

一体あれは、これはどうなるのかと、焦り、不安になるのは、 目の前の現象を、何か既存のカタチや計画へと、無理やりなぞらえて安心を獲得しようとあがくからだ。 だが実は、いまこの瞬間、私向き合わされている現前の現象に先例などないのだろう。 これは初…

年末から新年にかけて、家族サービスや仕事、大雪との格闘に追われ、まとまった稽古時間がとれなかった。情けない。 私の武が、いかに暮らしに根付いていないかという証拠ではないか。 たとえ試合チャンピオンであろうとも、武道高段者であろうとも、生きて…

12月13日、修武堂有志で「東京武者(無茶)修行」へ。 井のなかの蛙も、ときどき大海を知らなくては。 現代武道師範のなかには「この道一筋」を美徳として、他流との交流を禁じ、他の段位を取得すれば破門にする場合もある。 亡き私の祖父も、いわれなき…

いつまでも歴史にとらわれることには善し悪しがあると感じた。 そして、己が生きていることの不可思議さと危うさについて、深く考えざるをえないことがあった。 その前には、すべてがかりそめのようなものだ。 家伝剣術はそのことに向き合ってきたはずなのに…

先週は、第5回鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会(主催 日本武道館・日本古武道協会)父と二人、家伝剣術で出場した。 約20年前にはこの地で、亡き祖父と父、我の三代で演武した。 さらにその20年前、私が生まれる前には、祖父と父が演武に来ている。 開…

青森ワラッセでの武術とネブタのイベントが無事、終了した。 新しい試みで準備時間も足りず、リハーサルもやっておらず、一時はどうしようかと思ったが、 企画の中心となった無刀氏、K氏、外崎源人氏らの活躍によって、大変意義深い講座となり、予想を超えた…

どうやら私には、よくよくパラボラアンテナを張って注視しているようで、実は認識が粗雑な空間があるのではないか。 剣や素手にかかわらず、いろんな稽古で怪我をする箇所の傾向からそう気づいた。 武とは剣とは、わが世界認識の在り様を、拙い点を、身体の…

実家で父母の庭仕事の手伝い。 数年前、甲野善紀先生がおいでになられたとき「植物園のようですね」とお褒めいただいた。 本当によくまあ、桜、梅、柿、栗、無花果、椿などの小高い木々が、あちこち枝を茂らせており、その下にまた低い低木や草木が生い茂る…

竹刀稽古の応酬で「攻め勝って打て」「心が動かされた…」という稽古は奥が深く、私などは永遠に堂々巡りになりそうだ。 しかし実は、それらの探求をじっくりと堪能できるためには、相手も我も、同じ技術を使うこと、あらかじめ打突部位が定められていること…

実家庭の稽古場。 T氏にお相手をお願いし、数か月ぶりに甲冑を着て、刃引き刀で、家伝剣術組太刀および林崎新夢想流居合立抜刀の組太刀稽古。 10月4日の青森市ワラッセ公開講座で演武するためだ。 今回は兜のみ外して鉄鉢か烏帽子を被った、より機動性の高い…

論語「子、四を絶つ。意なるなかれ。必なるなかれ。固なるなかれ。我なるなかれ。」 荘子「豈に唯だ形骸にのみ聾盲有らんや。夫れ知も亦た之有り。」 (いずれも、山田史生『中国古典「名言200」』三笠書房、2011より) 私の剣の稽古、いやそのまま、日々の…

素面素小手、袋竹刀で家伝剣術の組太刀。 それは一般のように「何歩で歩いたら何度の角度で打て」という外形重視の体操のような形では使えないから、内側重視、あとはどんな現象が発生するかは神のみぞ知る。 上段から歩み寄り、互いに斬りこむだけのシンプ…

部屋を片付けていて、十数年前に買った武術本、笠尾恭二「きみはもう「拳意述真」を読んだか」が出てきた。 19世紀末から20世紀初めに活躍した内家拳の達人、孫禄堂の教えだ。 当時は、難解で全く理解できなかったが、いま再読すると大変興味深い。 「形意拳…

「旧笹森家住宅体験イベント 弘前藩の武士の作法と技」(主催 弘前市教育委員会)が盛況のうちに終わった。 ご支援いただいた弘前市をはじめとする関係各位、皆様方に深く感謝申し上げます。 弘前は旧弘前藩の城下町だが、現代では、ネプタやリンゴは有名で…

8月2日・3日、弘前市内の某武家保存住宅で 武士の礼儀作法のワークショップを企画している。 そのため武芸の「外物(とのもの)」を再勉強。 外物とは、剣槍弓柔術を補助するもので、侍が日常生活や、転変する天候や環境、場でも、不覚を取らないようにす…

「評価される技を」という武道雑誌の表題を見て少々驚き、寂しさを感じた。 武とはそのようなものだったかな。武の性質が変化しているのではないか。 「評価されるために」という、フィギアスケートや体操競技と近似する価値観は、長い武の歴史上、最近の新…

スポーツが楽しく素晴らしい文化であることは確かだ。 しかし、最近なんだか気になるのが、 世界的、または国民的に大きな話題となるようなスポーツイベントが開催されるときになると、 それに合わせたように、国内の政治で重要な動きや政策決定などがあるこ…