林崎新夢想流居合

林崎新夢想流居合「向身」七本の稽古。 この形では、それぞれ初発刀でどの高さ、相手のどの部位へ抜き付けるのか名七本ごとに異なっている。 それを手順として、頭で考えてやっていたが、覚えられるものではない。 だが、今頃になって自然な流れのなかで、な…

家伝剣術や林崎新夢想流居合の稽古は、本当によく日常生活につながるなあ。 10代、20代の頃は、ガンガン体力にまかせて、猛稽古をするほど「生きている実感」があった。それが稽古だと確信していた。それをやらないと自分の存在が希薄になってしまうような焦…

林崎新夢想流居合「向身」七本をおさらい。 打太刀に向かって歩いていき、何も考えずにフッと扶据(ふきょ)に座った瞬間が、実は、身体各部が無理なく自然につながった開き、最も動けそうな感じになる。 まるで、空中から落として、自然に展開してカタチを…

今秋「全国古流武術フォーラム2015-林崎甚助の居合を求めて-」を開催する。 なぜ津軽でこのような大会を開催するのか、不思議に思われる方もいらっしゃるだろう。すこしご説明申し上げたい。 林崎甚助重信とは、戦国末期に、抜刀術、居合を生み出した…

修武堂の定例稽古。 おなじみの方々とともに学生さん達もおいでになり賑やかだった。 久しぶり道場に入った瞬間、杉材の床が、日々の剣道稽古すり足で、まるでグラインダーをかけたようにボロボロになっていることに驚いた。 そのなかにひとつ、小さな窪みが…

「全国古流武術フォーラム2015-林崎甚助の居合を探る-」 1趣旨 津軽の武士達は「林崎新夢想流居合」という古い武術を学びました。目の前の敵が短刀で突いてくるのを、三尺三寸の長い刀を抜き一瞬で斬りとめる技です。弘前藩士たちにとっては流派の違いを越…

林崎新夢想流居合一本目「押立」の初発刀は、「水平」か「袈裟斬り」なのか。 という質問をいただいた。 懐かしいテーマだ。 そのことについては4、5年前から、故加川康之氏との稽古のなかで何度も検証し、何度も修武堂ホームページで紹介した。 また、一…

何がリアルな武なのだろうか。 それは人によって異なり、私も明快な答えができない。 だが、武が仮想空間の競技ではなく、現実を生きぬく技法だとすれば、 その稽古眼目はそのまま、現実世界とは何か、生きることをどうとらえるか、 という大命題へ、自ずと…

またひとり、当会の中核的存在だったF女史が、津軽を離れることになった。 合気道に優れ、身体の反応が速く、袋竹刀を交えたときには、剣道家とは異なる精妙な手を遣われ、私は大変勉強となった。 仙台に行かれても、我々との武縁は続くはず。新しい天地での…

「伝統」とは、後世を生きている我々を守り、導く守護天使のような有り難い存在である。 わたしもそこで活かしてもらっている。 しかしややもすれば、己自身で考えることなく、与えられるまま、排他的な「正統性」に依存したがる怠惰な強情をも招く。 それは…

林崎新夢想流居合の天横一文字から天縦一文字へ、構えが変化するなかで発生する攻防一致の太刀筋。 それが、なにも新しい発見でもなんでもなく、家伝剣術、そして新陰流や鹿島神流など諸流でも当たり前に遣ってきた技法であったことに気づき、まるで新しく発…

本日は久しぶりにみんなで林崎新夢想流居合の稽古。今日は「外物」 その前に、この居合すべての技を通底する所作について。 まずは扶据(ふきょ)という独特の立ち膝。 この座方の精度、整った心身を養うための優れた稽古方法がある。 扶据からの抜刀で、床…

年末から新年にかけて、家族サービスや仕事、大雪との格闘に追われ、まとまった稽古時間がとれなかった。情けない。 私の武が、いかに暮らしに根付いていないかという証拠ではないか。 たとえ試合チャンピオンであろうとも、武道高段者であろうとも、生きて…

12月13日、修武堂有志で「東京武者(無茶)修行」へ。 井のなかの蛙も、ときどき大海を知らなくては。 現代武道師範のなかには「この道一筋」を美徳として、他流との交流を禁じ、他の段位を取得すれば破門にする場合もある。 亡き私の祖父も、いわれなき…

何年ぶりにランニングシューズを買ってしまった。でもいいのかな。 己の稽古内容が拙くなってくると、ついつい体力稽古をやりたくなる。 地稽古や乱取り、素振り、筋トレ…。毎夜、弘前公園の闇を走る。 20代、30代の頃ならばそれでよかった。確かに得る…

ここ数日、膝が規矩になるということを感じて、工夫している。 座った林崎新夢想流居合では右膝が、立った家伝剣術では両膝が、それぞれ稽古のなかで所作のメルクマールとして指摘されることが多い。 伝書でも、亡き祖父との稽古でも、いまの父での稽古でも…

実家で父母の庭仕事の手伝い。 数年前、甲野善紀先生がおいでになられたとき「植物園のようですね」とお褒めいただいた。 本当によくまあ、桜、梅、柿、栗、無花果、椿などの小高い木々が、あちこち枝を茂らせており、その下にまた低い低木や草木が生い茂る…

実家庭の稽古場。 T氏にお相手をお願いし、数か月ぶりに甲冑を着て、刃引き刀で、家伝剣術組太刀および林崎新夢想流居合立抜刀の組太刀稽古。 10月4日の青森市ワラッセ公開講座で演武するためだ。 今回は兜のみ外して鉄鉢か烏帽子を被った、より機動性の高い…

先日、鳥井野獅子踊の祭礼にお邪魔した。 同じ前近代の身体技法でも、獅子踊は、近現代武道のように、近代競技スポーツ論理で整理されたり改変されたことは少ないから、古い要素が残っているのではないか。 その教え方のなかで「腕を差し伸べれば自然と脚も…

武技には、無限の変化がある。 ならばなぜ、武士達は、これほどシンプルな形しか残さなかったのか。 いや、我々自身が、形が生まれたときのその有り様を、向き合い方を見失っているのだ。 全国武者修行で無敗を誇った、17世紀弘前藩の剣豪浅利伊兵衛。 我…

形が何を指し示めしているのか。 例えば、林崎新夢想流居合は、正座する打太刀に向かい、その両膝の間に我が膝を入れるほど密着し、扶据(ふきょ)という片膝を立てた座法をとり、三尺三寸の長刀を抜き操作する。 これを即物的にとらえ「戦いでそんな状況は…

林崎新夢想流居合の記録映像撮影。 K氏、無刀氏、外崎源人氏、下田雄次氏らのご協力のもと、向身七本、右身七本、左身七本まで撮影が完了した。 今後、編集作業等を経て、参考資料として公開へと進めていきたい。 そして朝方、家伝剣術の刀の素振りをしてい…

昨日の定例稽古は、朝9時から18時まで。クタクタだが夢中で、アッという間の時間に感じた。 午前は、テレビ局勤務K氏のご指導のもと、無刀氏と下田雄次氏と私の三名で、弘前藩伝承の林崎新夢想流居合の記録映像を撮影した。 まだまだのレベルではあるが、4代…

稽古用の木製槍が二筋届いた。ひとつは直槍。ひとつは十文字槍である。 家伝剣術の先師たちは、弘前藩の宝蔵院流槍術も修めていた。同流の達人弘前藩士小舘儀兵衛は、小柄でありながらも、槍を持てば大力と目にもとまらぬ速い突きを発揮し「腰の釣り合いが重…

山形県には居合の開祖林崎甚助を祀る林崎神社が鎮座している。 無刀氏を通じて、安永4年(1775)年5月23日、弘前藩士小山次郎太夫が参詣した記録があることを教えていただいた。 数代前の我が先祖である。妙な感動だ。 彼は、家伝剣術のほかに林崎新夢想流居…

本当に久しぶりに林崎新夢想流居合のひとり稽古を再開した。 稽古仲間を増やすため、特注の三尺三寸刀をあちこちにお貸ししているうちに、 いつの間にか鞘が割れてしまい、自分の稽古もできなくなっていた。 しかし、修武堂の武具師である外崎源人氏に補修し…

首都圏は大雪で大混乱。 私が上京する飛行機も欠航となり、国立歴史民俗博物館共同研究会を欠席せざるをえなくなった。残念…。 テレビで見る首都圏の大雪の風景は、ふるさと津軽の毎日と似ていた。雪に慣れないだろうから、多くの被害が出ているといい、本当…

小学生時代、365日毎朝、北辰堂で、故岩田夏岳先生、故佐藤兵衛先生、故斉藤勝七先生から剣道を習った。特に斉藤先生には基本から丁寧にお教えいただいた。 中学になると剣道部で、故川崎昭三先生から鍛えていただいた。疲れて動けなくなったときに無心のい…

稽古とは何か。 戦いでは、敵だって懸命だから、かりそめの攻撃では不安であり、なるべく長引かせず、確実にしとめたい。 これが、ポイントをかせいで総合点で勝敗を決める競技やゲームとの違いか。 確実にしとめたいから相手は他のどこでもない、最も効果的…

板の間での受け身稽古で強打した腰はまだ完治しない。でも稽古は続けている。 地を四つ足で這うような、複雑な所作をする林崎新夢想流居合ではなんともないのに、シンプルな正座の方が腰が痛い。 おそらく腰が居着いているかどうかだろう。 幼いころから「稽…