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武の第一目的は「試合に勝つこと」ではない。
それでは、会議で試合ルールが変わるたびに、武の目的も、求める人間像も、毎度変わってしまう。そこから一歩出たら、通用するかどうかもわからなくなる。
武は、そのような、揺れ動く存在、限定された世界ではなく、人類にとって普遍的なテーマに関わるはずだ。
すなわち武とは、ギリギリの境界において立つ技法だ。
切実な場、すべてが崩壊し、当てにならない場で、生きぬく、光明を見出す術でもある。
危機に際し、いかに己を立て、いかに敵対する存在と縁を結ぶのか。
よって武は己ひとりだけでは成立しない。
自分とは異なるもの、危機が、他人が、なくてはありえない。
勝敗を超えて、必ずしも勝つことではなく、敗れないことこそ重視する。
その姿は、すべての虚飾が排され、水墨画のように素朴である。
代々、身体から身体へと直接手渡されてきたカタチなき心身の遺産(レガシー)だ。
私が教えるのではない。レガシーがあなたを導く
それでも、歴史に依存し、立ち止まることは、許されないだろう。
古い剣に命を吹き込むため、その時代ごとの課題に向き合い、新しい意義を見出していこう。