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林崎新夢想流居合は、弘前藩のサムライ共通の居合だ。
藩内の當田流、小野派一刀流、本覚克己流和、卜傳流などの各流派がこの居合を併伝した。
幕末以降は、武士以外の人々も学んだから「津軽のスタンダード居合」といっていい。
しかし、そのあまりにクラシカルな姿は、現代の居合とはかなり異なるから、
「なぜ遠い間合いから抜き付けないのか?」というご質問をいただくことがある。
もっともだ。
しかしこの居合では、遠間から抜き合い斬り結ぶ稽古は、上級コースである。
初めはひたすら只管打坐。相手と密着した狭い空間内での抜刀を錬磨する。
多用する座法「趺踞(ふきょ)」は、両脚を地に組み伏せる姿で、現代人からすれば非常に窮屈だ。
(だが、このような座り方は、前近代の日本列島各地では、ありふれたしぐさだったようだ。
縄文から近世までの出土人骨の多くにも、日常的にしゃがんでいた痕跡が残るという。)
もとい。
この稽古では、両脚を封じたうえに、さらに真向かいに打太刀が座り、我が三尺三寸刀の柄をその左腕に当てて、右手を前へ出して抜くことさえ抑制される。
すると目前から九寸五分の小刀が襲ってくる。
すなわち最悪の状況で、いかに自由をえて、懸待一致(攻めと守りがひとつになること)、相手に応じられるか!?
という、戦国末期の開祖、林崎甚助の命題そのものの所作なのである。
ここから居合が生まれたともいう。柔と剣をつなぐものだともいう。
その古い形によって、現代の我々も林崎甚助の探求を追体験していくのだ。
あまりに難しい設定のため、お会いできた近代の修行者達のなかには、動きやすい普通の立ち膝に崩して稽古されていた方々もいた。
長刀を動きやすいするため広い間合をとったり、届かせるために九寸五分の短刀を長くしたり、打太刀の顔面に当て身を入れて、後ずさりさせて空間を空けてから抜く…
といった、いろんな解釈も生まれたようだ。それぞれの伝承には個性があっていい。
しかし、やりやすくするために、古伝の形の大命題を崩してしまえば、上達へ導いてくれる無形の規矩さえも失われてしまうだろう。
この古い居合は、我が三尺三寸の長刀の弱点である「近間」で行うのが骨格なのだ。
すなわち、近い間合いでは相手の九寸五分小刀が圧倒的優勢となる。その彼の制空圏内で稽古することが大前提ではないか。
そのなかで、いかに応じていくか、という錬磨を重ねていくなかでこそ、獲得されていく技法、身体があることを暗示しているのではないか。
追い詰められた龍が玉を吐くように。
最初は、卒倒するほど厳しい設定で、まるで絶壁の前に立ちすくむ思いがするだろう。
だが、伝承武芸のいいところは、いくら断崖絶壁、無人の荒野であろうとも
「前にここを通った人がいる」というレジェンドが、大いなる希望、勇気となることだ。
「わが父祖達が実際にやってきたのだから、できないはずがない」
という、根拠がない強い希望を胸に稽古を進めている。
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なぜ武芸伝書の勉強会をやるのか?
20年前にひとりで歩き出した津軽地方の古武術再起動の旅だが、
近年は多くの強力なお仲間が増えて心強い限りだ。
だが、この世界の奥深さを語り尽くすには、浅学菲才の私だけではとうてい無理だ。
また、ともすれば我々は、伝承の規矩を、現在の己の感覚へと我田引水してしまう。
そのときに、再び原点へもどって定点観測をするため、形や口伝、伝書がある。
だが、ここ100年で武術・武道を取り巻く環境は大きく変化した。
先人の伝書を読む方は皆無に近く、その作法さえ我々は忘れかけている。
いや、読めなくなったといっていい。
書き記した先人達の身体と、同じ地平に立ちはじめて初めて読めてくる表現がある。
よって能力がないのを承知で、少しずつそれを勉強する場を始めたい。
そして先人達が残した「伝説」も大事だ。
現代のスポーツにも「伝説」はある。
先人達の「伝説」は、その真偽を問うよりも、
現在や未来の修行者、プレーヤーの憧れや目標となり、迷ったときの道しるべとなって、鼓舞し、
やがてはその世界を活性化させてくれる。
ふるさとの古い武芸にもそれがある。その拙きガイドをしたい。
いや、何より自らを鼓舞し、袋小路から抜け出して、新しい指針を見出していくために。
(業務連絡)
まずは、故太田尚充先生が残された研究をもとに展開していきます。
推奨テキストは、
太田尚充著『弘前藩の武芸伝書を読む 林崎新夢想流居合 宝蔵院流十文字鑓』水星舎、201年(http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB01822210)です。
どなたでも参加無料(予約不要)ですが、防寒対策は忘れずに
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林崎新夢想流居合の稽古は、今までの身体と技法を転換させていく。
同流は、脚への斬りや突きを斬り伏せる稽古が多く、剣道で、突っ立った構えになじんだ私は、身体の組み替えを迫られている。それが面白い。
「正しい」とされる直立姿勢で激しい攻防を行う近現代剣道。
それで培った心身をベースに、その濃淡や粗密を全身へとならし、オールレンジ「八面玲瓏の身」へ進化していく方法として、この「規格外」の古流稽古は大変、効果的だ。
幕末から近代の撃剣や剣道で、試合の判定上、稽古の安全上、打突部位や技を制限したことは誠に優れた工夫だった。
だが、その体系に馴染み、その身体観を何度も刷り込んでいくほど、ルールに基づいて身体のなかで感度が高い部位と、そうではない部位が発生してくるようだ。
具体的には、面、小手、胴、突き等の打突部位を打ち打たれることについては非常に繊細だが、それ以外の身体部位については、打たれても認識しない。鈍感になることがある。
だが、手指、袈裟、二の腕、両脇、脚部…、いずれも試合や稽古では有効ではないが、防具のない実際の攻防ならば、大きなダメージとなる。
さらに「防具があるから当たっても大丈夫な」攻防と、「素面素小手だから、少しでもかすったら大変な」攻防では、心身が、技法が、全く変わってしまう。
当たり前のことだが、古流は、全身への攻防を前提として、技法体系が編まれている。
そこことを、愚鈍な私は、形の手順をなぞるだけでは実感できなかった。
だが実際に、打突制限を設けずに袋竹刀で打ち合い、何度か実験してみれば誰でもわかる。
今まで意味不明と黙殺していた古流演武とそっくりな現象が、ときおり我が身に出現する。
すなわち、これらの古い形を残した先人達は、すでに経験済みのことなのだ。
そのことを知ったとき、目前の「退屈な」古流演武が、リアルに感じられてくるだろう。
その気づきは、睫毛の先にある。
「正しさ」からいったん脱線してみる勇気がなくては見えてこない。