修武堂の定例稽古は、会費も月謝もすべて無料。経験や武種も不問、どなたでも参加でき「来る者は拒まず去る者は追わず」で十数年やってきた。

だから、名前も知らない方と剣を交えていることが少なくない。

なぜ門戸を開いているのか。

その理由は、30歳の頃、ある歴史上の宗教者の修行に深く感銘したからだ。

敷居を高くして「廟堂」に籠るよりも「この教えは果たして本当なのか」実社会に問うこと。

世の中の様々な方々にもまれるなか、実地で家伝の卜傳流剣術を再検証し、磨き上げる「辻説法」をやるべきだ、と決意したからだ。

そのことで、前近代の遺産である家伝剣術が、いまの時代の課題とも斬り結んでいきたい。

そしてなぜ無料なのか。

まずは、代々の父祖達が、家伝剣術は「金もうけではない」と厳命してきたからだ。

二番目には私の感謝だ。

つまり、参加される方々は、貴重な各自の時間、この世にひとつしかない己の心身を総動員したうえで、この拙い私の稽古にお付き合いしてくれているだ。

逆に私がお礼をしなくてはならないのかもしれない。

だからいまでも、稽古環境で不足なものがあれば、なるべく私が準備している。

全く無謀なボランティアだ、とあきれられることも多い。

最後に、淡々と生活のなかで継承してきた習俗や文化が、金銭に関わった場合、ともすればその質が、急速に変容してしまう場合があるからだ。

例えばかつては、家や地域ごとの伝承があり、生活のなか、自分で選ぶ前に、物心ついたときにはその技芸を覚えていた、という環境があった。

現在では、そのような環境は稀であり、我々は長じてから、自分で選んだ「習い事」へいく。

だが、それらの多くは「習い事」としてパッケージ化され、経済活動用の資源として整理された姿になっている。

フランチャイズ、ブロイラーで育てた万人向けだから、それぞれ異なる私たち個々の地域や暮らしの特性とはつながらない、別個の存在である。

例えば、我々は日常、食事で箸を自然に使っている。

しかし、その箸遣いを、有料で他人に見せたり、教える技芸にした場合、その遣い方は本来の要請、用途からは、全く別の形態へと変容していくことは想像に難くない。

このような問題は指導者にもよるだろう。もちろん、バランスよく運営されている師範も少なくないようだ。

経営センスが全く無い私の場合だから、技芸そのものの内容を優先していきたい。

すなわち、少なくとも修武堂で稽古している古い武術群は、なるべく資源化されたり、パッケージ化されない「野生種」のまま、稽古を楽しみ、深めていきたいのだ。

案外そのような稽古は、首都圏よりも、この地方だからこそ可能なのではないかと考えている。

精選したり、特化する以前の、多様な要素と可能性をはらむ「野生種」の方が、どんな新しい心身を派生するきっかけをくれるかわからない面白さがあるはずだ。

〇定例稽古のお誘い
弘前藩で伝承されてきた卜傳流剣術、當田流棒術、林崎新夢想流居合、本覚克己流和

などの古流武術を中心に、心身を生き生きと豊かにしていく稽古を楽しみましょう。
ご関心のある方はどなたでも参加できます。初心者も歓迎いたします。
(小学校高学年以上、見学も可)。

  ・日 時:2017年1月28日(土)13時~15時
  ・会 場:青森県弘前中央高校4F武道場 をお借りいたします。

  (※お借りしている会場なので、直接、会場へのお問合せはご遠慮ください。)

  ・参加費等:無料

その他
 ・動きやすい服装でお願いします。(室内、板の間の道場です。内履き等は不要です)
 ・木刀や帯類などの稽古道具がある方は持参ねがいます。
 ・シゴキ等はありません。各自の興味関心、体力に応じた稽古です。
 ・安全に充分留意した和やかな稽古ですが、もしもの際のケガ等は自己責任でお願いします。
                                 修武堂小山隆秀

「わが市は、武士が発祥したところだ(!?)。だから武道の基本をきちんとやらなくてはならない。よって昇級試験のランクを細かく設定した。」

という、全く奇想天外な講話が、津軽でも生まれてきた。

「武士が発祥したところ」など、特定の市町村に限定できないことは自明のことだ。

さらに武は、武士だけではなく、17世紀から、町民や百姓など民衆にも共有されていた。

日本各地で、ある者は軍事や護身のために、ある者は腕くらべや競技として、ある者は奉納神事や芸能として、それぞれの職分や生活に応じて用いていた。

どれも間違いではない。

これらは武の多様性や豊かさを示しており、少しずつ変化しながら受け継がれてきた。

現代の我々も、そのなかから己に合う要素を受け継げばいいのではないか。

しかし文化の多様性が失われ、ひとつに平準化してしまうと、我のみ「正しい」が出現する。

それが己ひとりの信念ならばいい。

ときに自ら考えることなく、ひたすら上意下達にしがみつくことで、己の不安を解消する。

だから、自分の先師達の足跡を知ることなく、全国講習会で示された「正史」のみ信奉する。

やがてそれを己の名刺として、他者にも強い、異なるものを排除していく…。

「真実の歴史」など、生身の我々には、とうてい明らかにできないことかもしれない。

だが、はっきりいえることは、誤った歴史観は、過去も現在も未来もゆがめ、現実との齟齬から、我々の苦しみを産むということだ。

だからこそ人文学は、全くおそろかにできないのではないか。

私の拙い武術・武道史研究は、平準化と闘い、目前の現実を生きぬいていくため始めた。

祖父の代から、ふるさとの各古流は存亡の危機にあり、近代武道からは異端視されていた。

まずは、ふるさとの武の歴史が、どのように変化してきたのか見つめ直すこと。

そのなかで家伝と己自身が、なぜここに立っているのか、整理、確認することが急務だった。

学びは本当に素晴らしい。

歴史的事実を知ると、曇りが晴れ、希望と勇気が湧いてくる。

その学びを、現場主義や精神主義、古流を異端視する風潮と闘うための智恵とした。

それでもやはり、祖父や父が口酸っぱく説いたように、武は実力の世界である。

「ならばお前は実際にできるか。口先だけでなく、いまここで、実技で証明してみせよ…!」

という「事理一致」が、何度も何度も試された。

たとえ愚者でも、代わりがいないこと、この世界の存続がかかっていると思うと引けない。

無数の悪戦苦闘が、私の実技をよくよく鍛えてくれた。

理論が、自分の肉体を通じてなんとか実現できると、深い安堵と確信につながる。

いまもその模索は終わらない。

武以外の各種技芸でも、研究と実践の世界がある。

現代では、それぞれが分離し、独自の世界を練り上げ、交わらないことも多いようだ。

先日、民俗芸能を研究・実践する「北文研」ほくぶんけん・北東北 無形文化遺産実践研究協会

を立ち上げた下田雄次氏と一致した見解がある。

確かに学術研究は、いまの未明を拓いてくれる素晴らしいものだ。

だがその一方で「研究者のための研究」では、現場はほとんど救われないこともある。

例えば祭礼で、不可思議な所作の民俗芸能があり、伝承者間でも混乱しているとき、

「それを「前近代の身体技法である」とすること自体、近代以降に認識された「新しい概念」にすぎないのだ」と指摘する。学論としてはその通りだろう。

しかしその理屈は、外堀から眺めている第三者内部で完結する言葉にすぎない。

生の伝承を背負い、いま懸命に泳いでいる実践者が

「ならば、いまここでどうすればいいのか」という切実な問いには、全く答えていない。

私自身も、この家伝剣術伝承や古武術世界に対し、責任を負う当事者、実践者である。

客観的視点に留まっているだけでは、受け継いだ伝承は滅びてしまうだろう。

経験上、対岸にいるだけでは全くだめで、向こう岸へと渡り、我を忘れ、その世界と渾然一体とならねば、活きた技など出現してこないものだ。その世界の全貌も見えてこない。

「正解」など知らないが、実践しては失敗し、考えてまた実践を繰り返し、歩いていく。

たとえ愚かな歩みでも、一生歩ききれば、過去の先達たちも許してくれるのではないか。

百年前の父祖と私の顔が異なるように、武は今後も、多様な変化と役割を生んでいくだろう。

一世紀後の子孫達は、どんな剣技を伝承しているのだろうか。

以下は愚かなロマンである。

生身である限りは、戦国期も近世も現代も、人類として共通する心身構造を規矩とすれば、それほど大きく逸れずに探求できるはずだ。

この家伝剣術や林崎新夢想流居合の稽古でも、遺された形が触媒となって、遠い過去からの示唆が、立ち上がってくることがある。

己の心身が、小さな枠組みから拡張し、時間を超えて、会えるはずがない数百年前の開祖、父祖達、先師達の「生きた心身」の一部にアクセスできたかと、淡い希望が生まれる。

彼らが目指していた、命を包む大きな世界にアクセスできたか、という深い喜びが身を包む。

己の心身で実践したからこそ、読めるようになる、古い伝書の表現がある。

これは客観的には証明できないが、伝承の実践者にとっては、確かに感じたリアルである。

しかし今後、AIと融合して、心身の構造を根底から転換させていった未来の人類になると、どうなるのか、全く予想もつかない。